虚堂智愚
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虚堂 智愚(きどう ちぐ、1185年 - 1269年)は、中国・南宋時代の禅僧。名は智愚、息耕(そくこう)・息耕叟と号し、俗姓は陳。象山の人。運庵普巌の法嗣、門下に霊石如芝、日本僧では南浦紹明らがいる。南浦紹明の弟子が大徳寺の開山・宗峰妙超であるが、大徳寺は茶道と縁が深く、茶道において宗峰の師としての虚堂の墨跡は鎌倉時代から特に重んじられた。その墨跡には張即之の書の影響が見られる。一休宗純は虚堂7世の孫にあたる。著に『虚堂和尚語録』(1269年刊)がある。 虚堂智愚法語 虚堂が入宋中の無象静照に書き与えた法語。江戸時代、京都の茶人・大文字屋がこの墨跡を所蔵していたとき、その手代が蔵の中に立てこもり、切り破ってしまったことから、俗に破れ虚堂と呼ばれる。その後、松平不昧の手に渡り、1938年に帝室博物館(東京国立博物館の前身)に寄贈された。 墨跡中の「日」の字と左払いの用筆が特異である。紙本、28.5cm×70cm。東京国立博物館蔵。国宝(指定名称は虚堂智愚墨蹟(法語))。
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