大慧宗杲
大慧宗杲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 17:29 UTC 版)
詳細は「大慧宗杲」を参照 大慧宗杲は、圜悟克勤の法嗣、大慧派禅門の祖として著名。大慧は五祖法演から圜悟克勤へと継承された公案を用いた指導法を発展させ、公案禅を大成した。また士大夫を通じて社会と積極的に関わろうと努めたことから、その門下には、張九成・李邴などの居士たちが集まった。そのような大慧の能動的な姿勢は、その思想とともに朱熹などにも大きな影響を与えた。朱熹は若年の頃、大慧の弟子・開善道謙に師事し、大慧の語録を愛読していたといわれ、朱熹の思想には禅的な要素が多分に認められる。 与無相居士尺牘 『与無相居士尺牘』(むそうこじにあたう せきとく)は、紹興25年(1155年)頃、大慧が友人の無相居士にあてた尺牘。当時、南宋は金の侵略を恐れて金と和議を結んだが、大慧は主戦論者を支持したとされて流謫の身となった。この書簡はその流謫の地・梅州から送ったもので、自らの安否を伝え、居士の動静を知りたいと述べている。書風は米芾と蘇軾の影響が見られ、書簡であるから自ずと率意の書である。紙本、38.1cm×65.7cm。東京国立博物館蔵。国宝(指定名称は大慧宗杲墨蹟(尺牘 十月初二日))。
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