五山とは? わかりやすく解説

ご‐さん【五山】

読み方:ごさん

《「ござん」とも》格式の高い、五つ大きな寺。

インド祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)・竹林精舎大林精舎鹿園(ろくおん)精舎・那爛陀(ならんだ)寺の五精舎

中国の径山(きんざん)寺・広利寺景徳寺・霊隠(りんにん)寺・浄慈(じんず)寺。

日本で、中国の制をまねた禅寺格式の一。時の政府住持任命し足利義満(あしかがよしみつ)のときに京都五山鎌倉五山定められた。→京都五山鎌倉五山


五山

読み方:ゴザン(gozan)

中世臨済宗寺院寺格


ござん 【五山】

ゴサンとも。五つ有名な寺をいう。①インド祇園精舎竹林精舎大林精舎鹿園精舎那爛陀寺。②中国宋代径山寺広利寺天童景徳寺霊隠寺浄慈寺。これらは禅宗で、皇帝が高い寺格与えた。③日本でも中国にならい鎌倉室町期にかけて、鎌倉京都に五山が定められた。鎌倉建長寺円覚寺寿福寺浄智寺浄妙寺京都天竜寺相国寺建仁寺東福寺万寿寺だが、その上位に南禅寺置いたから計六カ寺である。五山の僧は漢詩文秀で五山文学の名を生んだ。これらの寺で出した木版本五山版という。別に十刹一〇カ寺)の指定もあり合して五山十刹という。肥後熊本)の豪族菊池氏鎌倉や京の五山をまねて五寺を指定し、これを菊池五山呼び武田信虎躑躅崎館付近妙心寺派五寺を府中五山と呼ぶ。また尼寺五山もある。→ 尼寺五山

五山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/23 07:10 UTC 版)

五山(ござん)とは

  1. 天竺五精舎 - 釈迦存命中の五つの精舎のこと
  2. 五山制度(ござんせいど)とは、中国日本における仏教寺格の一つ。日本においては、主に臨済宗の制度であった。上位より、五山・十刹諸山林下に区分された。
  3. 日本画五山(にほんがござん)とは、東山魁夷杉山寧加山又造高山辰雄平山郁夫の5人の日本画家の総称。

以下、2.について記す。

仏教において

もとは南宋寧宗インドの5精舎10塔所(天竺五精舎)の故事に倣って、径山霊隠天童浄慈育王の5寺を「五山」として保護を与えたのが由来と言われている[1]

鎌倉時代後期には日本にも禅宗の普及に伴って広まるようになり、正安元年(1299年)には鎌倉幕府執権北条貞時浄智寺を「五山」とするように命じたのが日本における最古と伝わる。

中国の五山

南宋時代に、政府が特別の保護を与え管理するために設けられた、禅宗寺院で最高の寺格を示す5つの官寺[2]。政府が住持を任命し、官寺の最上位として、十刹の上位に位置する[2]

官僚社会と接近した禅林は、一般社会の官僚機構を禅林運営に導入して官寺制度を確立するため、大慧宗杲帰依した南宋の政治家 史弥遠 しびえん寧宗皇帝に奏上して設けられた[2][3][4]南宋行在所のあった臨安を中心に五寺を選定し、によって輪番高僧住持とした[4]

五山の選定は、仏陀が長く留まったインドの五精舎(天竺五精舎天竺五山)、および十塔所に倣うともいうが、臨安を中心とする漢族文明の強化を望んで、人の五体五臓をモデルとする風水思想の成果であるとの考え方もある[4][5]

  1. 径山 きんざん 興聖 こうしょう万寿寺[2] ー 浙江省杭州市余杭区 径山鎮
  2. 北山景徳 霊隠寺 りんにんじ[2]  ー 浙江省杭州市西湖区 太白山
  3. 太白山 たいはくさん天童景徳寺[2] ー 浙江省寧波市鄞州区
  4. 南山 浄慈 じんず報恩光孝寺[2] ー 浙江省杭州市西湖区 西湖湖畔 南屏山
  5. 阿育王山 あいくおうさん 広利寺 こうりじ[2]  ー 浙江省寧波市鄞州区 太白山麓

京都五山と鎌倉五山

鎌倉時代

鎌倉幕府の五山制度については詳細は明らかではないものの、鎌倉建長寺円覚寺寿福寺及び京都建仁寺の4ヶ寺が「五山」に含まれていたと考えられている。同様に後醍醐天皇建武の新政においても「五山」が制定され、南禅寺と大徳寺の両寺が五山の筆頭とされ、東福寺と建仁寺が含まれていた。

室町時代

五山
別格上位 南禅寺
京都 鎌倉
第一位 天龍寺 建長寺
第二位 相国寺 円覚寺
第三位 建仁寺 寿福寺
第四位 東福寺 浄智寺
第五位 万寿寺 浄妙寺

その後、室町幕府を開いた足利尊氏は、天竜寺を建立したが、天竜寺を五山に加えることを望んだ。これに対して北朝暦応4年(1341年)に院宣を出して尊氏に五山の決定を一任した。これに応えて同年に尊氏は第一位に南禅寺(京都)・建長寺(鎌倉)、第二位に天竜寺(京都)・円覚寺(鎌倉)、第三位に寿福寺(鎌倉)・第四位に建仁寺(京都)・第五位に東福寺(京都)・准五山(次席)に浄智寺(鎌倉)を選定した。これ以後、五山の決定及びその住持の任免権は足利将軍個人に帰するという慣例が成立することになる。その後、延文3年(1358年)に2代将軍足利義詮がこれを改訂して浄智寺を第五位に昇格させるとともに同じく第五位に鎌倉から浄妙寺、京都からは万寿寺を加えて計4寺として京都と鎌倉からそれぞれ5寺ずつが五山に選ばれた。その後、3代将軍足利義満の時代に管領細川頼之の要望を聞き入れて臨川寺を五山に加える(永和3年(1377年)- 康暦元年(1379年))が、康暦の政変で頼之が失脚すると外された。ところが、義満が足利将軍家菩提寺として相国寺を建立すると、至徳3年7月10日1386年)に義堂周信絶海中津らの意見を容れて五山制度の大改革を断行、南禅寺を「五山の上」として全ての禅林の最高位とする代わりに相国寺を「五山」に入れ、更に五山を京都五山鎌倉五山に分割した。両五山はこの格式で固定し、現在に至っている。

出典

参考文献

関連項目


五山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 01:31 UTC 版)

十二国」の記事における「五山」の解説

黄海中央にある崇山(「崇高」「中岳「中山」とも呼ばれる)と、その周囲にある蓬山崋山霍山恒山総称女神の長である西王母治め天界属す領域蓬山崇山の東に位置し東岳あるいは東山とも呼ばれる崋山は西、恒山は北、霍山は南にあるが、霍山恒山黄海中心から西に寄っている。五山には周囲黄海に住む妖魔妖獣侵入できない西王母神仙達を憚って山を飛び越えようとする者はいない。天帝の山である崇山西王母が主とされる蓬山以外の山の主は諸説あって判然としない崇山自力昇仙した仙の修行の場である。ここでの修行終えた後、天仙たちは蓬山などに配属される。 五山の一つ蓬山には女仙束ねる天仙である碧玄君・玉葉が居を構え事実上人界天界との橋渡し役となっている。また蓬山神獣麒麟生まれ育てられる場所としても知られる。それらの事から、蓬山のみ人間立ち入ることを許している。蓬山には麒麟以外には女仙かいないため、蓬山にいる男性子供必然的に麒麟だけなので「蓬山小さき者は麒麟のみ」と言われている。なお、「蓬山」は元々「泰山」と呼ばれていたが、戴国の王が覿面の罪犯したことにより戴国の国氏が代から泰に代わったために名前を変えたその後凶事有る度に名前を変えたが、ここ千年程は現在の前に落ち着いている。蓬山には四季無く年中温暖で花が咲き乱れている。そのため、建物雨露さえしのげればよく、甫渡宮以外の建物四阿か庵のような佇まいである。 蓬山には以下の施設存在する蓬廬宮 王と誓約していない麒麟が過ごす一帯を指す。蓬山中腹雲海の下)にある。捨身木基点としたなだらかな地形にあり、様々な建物や園、用途別の池などがある。東は切り立った崖、北は絶壁であり、内部防犯為にがない細い路が入り組んだ奇岩迷路のようになっている丹桂宮 蓬廬宮入口である青陽近く蓬廬宮内の建物蓬廬宮で一番大き建物である。天勅を受ける王が、吉日までを過ごす。 雲梯宮 天勅を受ける儀式の際にだけ使用される建物。奥に朱塗りの扉があり、その向こうに普段は緑の岸壁見えるだけで何も無いが、天勅を受ける儀式の時だけ雲海の上山頂まで伸びる透明な階が現れる。王と麒麟はその階を一段昇るごとに天綱を「自らの中」に刻み込まれる。 白亀宮 雲海の上蓬廬宮とを繋ぐ平時通用門役割を果たす建物普段建物だけが存在し雲海の上下を行き来する時だけ階段現れる蓬山頂上からは呪のせいか見た目の割に長さ感じない白い階段つながっている。白い石を敷いた白い八角形部屋山頂から入って振り返ると閉じたはずの門がなく白い壁だけが存在し、他の面は壁が無く緑に生した岩肌迫っている。 甫渡宮 麒麟昇山者と面会する建物蓬廬宮の外にある。大きな広場面している。昇山者はこの周囲天幕張って野宿をする。 牌門 蓬山黄海の境にある門。登山道階段に塀も何も無く建っている。蓬山自体には垣根など周囲を囲む物は存在しない登山道がここしかない為、黄海から蓬山への唯一の出入り口廟堂 蓬山山頂にある天帝西王母祀った白く壮麗な廟。蓬廬宮とは朱塗りの祠を介して出入りし雲海とは扉の無い門で区切られている。廟堂の裏には石畳広がっている。 中には壇上王母天帝の像があるだけ。壇上には無数の文様彫りこまれ、白銀屏風を背に白銀御座設えられており、四方柱間かけられ珠簾御座座った白い石の人物像胸元までを隠している。西王母伺い建てる時などにこの壇の奥に行くのだが、壇の奥の壁には白い扉が左右にあり、廟堂大きさから考えても扉の向こうなどはありえないのに左側の扉の向こうに同じよう建物続いている。奥は手前同様の壇と白銀御座があり、天井や奥の壁がなく、玉座背後ではいかほどの高さがあるかもわからない大瀑布純白の壁を作っている。 蓬山女仙たちは麒麟がいない平時は自らの生活のための機織り洗濯畑仕事祭祀などのルーチンワークをしている。 麒麟沢山の食べ物前に一人食事をする慣わしになっている

※この「五山」の解説は、「十二国」の解説の一部です。
「五山」を含む「十二国」の記事については、「十二国」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「五山」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ

「五山」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「五山」の関連用語

五山のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



五山のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
中経出版中経出版
Copyright (C) 2025 Chukei Publishing Company. All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの五山 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの十二国 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS