足利義詮とは? わかりやすく解説

あしかが‐よしあきら【足利義詮】

読み方:あしかがよしあきら

[1330〜1367]室町幕府第2代将軍在職1359〜1367。尊氏の子尊氏名代として、新田義貞鎌倉攻め参加尊氏死後正平13延文3年12月1359年1月将軍となった

足利義詮の画像

足利義詮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 00:29 UTC 版)

足利 義詮(あしかが よしあきら)は、室町時代南北朝時代)の室町幕府第2代征夷大将軍[4]。初代将軍足利尊氏の三男[注釈 1]。母は鎌倉幕府最後の執権北条守時の妹で正室・赤橋登子(登子の子としては長男)。姓名は源義詮


注釈

  1. ^ 足利竹若丸、足利直冬という2人の庶兄に次いで三男とされる。
  2. ^ 孫の義淳の時代において「斯波氏は代々『』の字を与えられる」(『満済准后日記』)と明確に述べられていることや、兄の氏経氏頼足利尊氏(義詮の父)、年齢的に割と近い甥(兄の子)の詮経・詮将が足利義詮、義将の子の義重や義種の子の満種満理足利義満(義詮の子)から1字を受けていることからほぼ確実とみられる。

出典

  1. ^ 足利義詮』 - コトバンク
  2. ^ a b 瀬野 2005, p. 177.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 藤田精一楠氏研究』(増訂四)積善館、1938年、204–206頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1915593/204 
  4. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰『コンサイス日本人名辞典』(第5版) 三省堂、2009年 32頁。
  5. ^ 黒田日出男『国宝神護寺三像とは何か』角川学芸出版、2012年。ISBN 978-4-04-703509-6 
  6. ^ 赤松俊秀「足利氏の肖像に就いて」『美術研究』52号、東京文化財研究所、1949年。 また同論文は、本画像を紹介すると同時に義詮像として問題なしと論じ、この論旨が広く広まっている。
  7. ^ 米倉迪夫 「足利氏の肖像 --宝筐院蔵足利義詮像を中心に--」(栃木県立博物館発行・編集 『開館三〇周年特別企画展 足利尊氏 その生涯とゆかりの名宝』展図録、2012年。ISBN 978-4-88758-069-5)。
  8. ^ 「嵯峨宝筐院の成立と泰甫恵通の動向」『仏教史学研究』59巻2号、2017年。 /所収:高鳥『足利将軍家の政治秩序と寺院』吉川弘文館、2022年、245-248頁。ISBN 978-4-642-02976-6 





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