赤橋登子とは? わかりやすく解説

赤橋登子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/12 08:58 UTC 版)

赤橋 登子(あかはし とうし[1][2] / なりこ[2][注釈 1]徳治元年(1306年) - 貞治4年5月4日1365年5月25日))は、鎌倉時代から南北朝にかけての女性。室町幕府初代将軍足利尊氏正室


注釈

  1. ^ この頃は女性に関する史料が乏しく、今日、その名の読みが分からぬ場合は「彰子」(平安時代)を「しょうし」と読むように完全音読みで読まれるのが通例である。『朝日日本歴史人物事典』では藤原登子(平安時代)と同じ「なりこ」とも併記されている[2]角田文衛『日本の女性名』にも「なりこ」とある[3]。)。尚、吉川英治の『私本太平記』及びそれを原作とした大河ドラマ『太平記』では「とうこ」と呼ばれていたが、これはいわゆる重箱読みで正確とは言い難い。

出典

  1. ^ 安田 1985.
  2. ^ a b c 西尾 1984.
  3. ^ 角田文衛『日本の女性名』国書刊行会、2006年、178頁。 
  4. ^ a b 瀬野 2005, p. 176.
  5. ^ 田辺 2002.
  6. ^ 谷口 1997.
  7. ^ 田辺旬、野口華世『鎌倉北条氏の女性ネットワーク』小径選書、2023年、222‐233頁。 
  8. ^ 亀田俊和、杉山一弥『南北朝武将列伝 北朝編』戎光詳出版、2021年、206‐217頁。 
  9. ^ 家永遵嗣『「光厳上皇の皇位継承戦略と室町幕府」(桃崎有一郎・山田邦和 編『室町政権の首府構想と京都』〈平安京・京都研究叢書4〉)』文理閣、2016年。 


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夢語りシリーズ」の記事における「赤橋登子」の解説

足利高氏正室北条守時の妹。千手王(のちの足利義詮)の生母。「風の墓標」に登場

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「赤橋登子」を含む「夢語りシリーズ」の記事については、「夢語りシリーズ」の概要を参照ください。

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