執権就任とは? わかりやすく解説

執権就任

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 06:12 UTC 版)

北条長時」の記事における「執権就任」の解説

建長8年1256年11月22日執権義弟)の時頼が病のため、時頼の嫡男北条時宗執権職を譲るまでの一時的な中継ぎ眼代)として長時白羽の矢が立ち、6代執権就任する『吾妻鏡』)。この際武蔵国務・侍所別当鎌倉小町の別屋敷なども譲られている。しかし実質的な権限は病の癒えた時頼が掌握していた。1260年には赤痢のため病床付していた宗尊親王代理として鶴岡放生会参列したが、長時自身この年の末には病魔蝕まれていた。文永元年1264年7月3日、病により執権職を辞任して出家叔父北条政村7代執権となる。同年8月21日浄光明寺にて35歳死去。同寺には長時木像位牌が今も現存している。勅撰集12首の歌が採録されている。 長時家系赤橋流義宗、久時、守時いずれも昇進早く引付経由することなく評定衆選出されており、家格の高さは北条氏中でも得宗に次ぐものであった最後執権赤橋守時足利尊氏正室赤橋登子曾孫にあたる。

※この「執権就任」の解説は、「北条長時」の解説の一部です。
「執権就任」を含む「北条長時」の記事については、「北条長時」の概要を参照ください。

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