勅撰集
勅撰集
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/29 06:20 UTC 版)
藻璧門院少将の歌は、勅撰和歌集の十三代集に計60首が採録されている。 勅撰集作者名採録歌 十三代集09 『新勅撰和歌集』 中宮少将 06首 10 『続後撰和歌集』 藻璧門院少将 05首 11 『続古今和歌集』 藻璧門院少将 11首 12 『続拾遺和歌集』 藻璧門院少将 10首 13 『新後撰和歌集』 藻璧門院少将 08首 14 『玉葉和歌集』 藻璧門院少将 02首 15 『続千載和歌集』 藻璧門院少将 08首 16 『続後拾遺和歌集』 藻璧門院少将 03首 17 『風雅和歌集』 — — 18 『新千載和歌集』 藻璧門院少将 02首 19 『新拾遺和歌集』 藻璧門院少将 02首 20 『新後拾遺和歌集』 藻璧門院少将 02首 21 『新続古今和歌集』 藻璧門院少将 01首 計 60首
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勅撰集
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:13 UTC 版)
1205年(元久2年)後鳥羽上皇の命で、『新古今和歌集』が編纂された。撰者は藤原定家と藤原家隆、源通具、藤原有家、藤原雅経、寂蓮の6人である。後鳥羽院自身も撰歌の配列などに大きく関与した。八代集の最後にあたり、当時の歌人の歌を中心に約2,000首がおさめられ、勅撰和歌集でも傑出したものの一つとされ、優美で技巧的な歌風は、のちに新古今調とよばれた。前代の『千載和歌集』を継承し、さらに感覚的・絵画的ないし色彩的に追究した作風が多い。いっぽうでは、『古今和歌集』へのあこがれと古代王朝国家の盛時を回顧する指向が強く、従来の和歌の伝統を集大成したと評される反面、新鮮さではもっぱら掛詞、縁語、畳語など技巧の点に集中したとも評価される。この時代のおもな歌人には、後鳥羽院、慈円、藤原良経、藤原俊成、式子内親王、藤原定家、藤原家隆、寂蓮、藤原俊成女、西行などがいる。 新古今和歌集の歌 見わたせば花ももみじもなかりけり 浦のとまやの秋の夕暮れ (藤原定家) 春の夜の夢の浮橋とだえして 峰にわかるる横雲の空 (藤原定家) 昨日だにとはむと思ひし津の国の 生田の杜に秋はきにけり (藤原家隆) ほのぼのと春こそ空に来にけらし あまのかぐ山霞たなびく (後鳥羽上皇) 見わたせば山もとかすむ水無瀬川 ゆふべは秋と何思ひけむ (後鳥羽上皇) いま桜咲きぬと見えてうす曇り 春に霞める世の景色かな (式子内親王) うちしめりあやめぞ薫るほととぎす 鳴くやさつきの雨の夕暮 (藤原良経) 寂しさに堪へたる人の又もあれな 庵ならべむ冬の山里 (西行) 勅撰和歌集は、新古今和歌集にひきつづき十三代集が編まれ、八代集とあわせ二十一代集の名がある。うち、鎌倉時代に編まれたものとしては、 新勅撰和歌集(1232年成立。藤原定家撰) 続後撰和歌集(1251年成立。藤原為家撰) 続古今和歌集(1265年成立。九条基家・菅原長成・衣笠家良・六条行家・葉室光俊撰) 続拾遺和歌集(1276年成立。二条為氏撰) 新後撰和歌集(1301年成立。二条為世撰) 玉葉和歌集(1312年成立。京極為兼撰) 続千載和歌集(1318年成立。二条為世撰) 続後拾遺和歌集(1323年成立。二条為藤・二条為定撰) の8集がある。
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