勅撰歌人
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尊氏は、武将、政治家としてだけでなく、芸術家としても足跡を残している人物で、取り分け室町時代を代表する武家歌人として名高い[要出典]。 連歌については『菟玖波集』に68句が入集しており武家では道誉に次ぎ二番目に多く入集している。 専ら連歌に専念した道誉と異なり和歌についても足跡が多く、『続後拾遺和歌集』(正中3年(1326年))から『新続古今和歌集』(永享11年(1439年))まで、6種の勅撰集に計86首の和歌が入撰している。幕府成立初期、観応の擾乱前の心境を詠んだものとして、『風雅和歌集』(興国7年/貞和2年(1346年))では、「いそぢまで まよひきにける はかなさよ ただかりそめの 草のいほりに〈前大納言尊氏〉」とあって、50歳になっても(実際は『風雅和歌集』完成時まだ数え47歳)まだ自身に迷いのあることを嘆き遁世を願っており、尊氏の性格や当時の政局を窺える歌となっている。 また、『新千載集』を企画し、勅撰集の武家による執奏という先例を打ち立てた[要出典]。
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勅撰歌人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 09:31 UTC 版)
歌人としては、4つの勅撰和歌集に計14首が入集し、そのほか准勅撰和歌集の『新葉和歌集』にも1首が撰ばれている。 入集の内訳は、『続千載和歌集』春上・59、恋二・1231、恋三・1324、恋四・1499、恋四・1533、『続後拾遺和歌集』夏・233、恋一・653、恋三・844、『新千載和歌集』春下・117、夏・195、冬・632、雑中・1895、慶賀・2346、『新拾遺和歌集』夏・203。列挙してわかる通り、北朝(持明院統)主導による京極派の『風雅和歌集』には全く撰ばれていないが、後醍醐を敬愛した足利尊氏の執奏による二条派の『新千載和歌集』には5首も撰ばれている。
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