勅撰集以外の和歌集
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:13 UTC 版)
歌をよむことは教養のひとつでもあった。3代将軍源実朝は藤原定家に学んで、しかも万葉調とよばれる歌をよみ、『金槐和歌集』を残した。これは、実朝が後鳥羽院を尊敬し、王朝文化に親しみをいだいていたことの現れであったが、同時に執権北条氏の強い警戒をまねくところとなった。このように、公家文化に対するあこがれから、作歌にはげむ武士も少なくなかった。 金槐和歌集の歌 箱根路をわが越えくれば伊豆の海や 沖の小島に波のよるみゆ 大海の磯もとどろに寄する波 われてくだけてさけて散るかも もののふの矢並つくろふこての上に 霰たばしる那須の篠原 武士の家に生まれた西行もそのひとりであった。西方極楽浄土への想いから「西行」と名乗って出家し、平安時代末期の動乱する諸国を遍歴し、旅と自然を愛した素直ですがすがしい秀歌をよんで歌集『山家集』を残した。西行は、鴨長明や卜部兼好とともに鎌倉期における隠者文学を代表するひとりである。 山家集の歌 願わくは花のしたにて春死なむ そのきさらぎの望月の頃 心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ 鴨長明にも家集として『鴨長明集』がある。
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