勅撰歌人に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 15:14 UTC 版)
鎌倉時代末期、権大納言二条為世の娘として生まれる。父の為世は藤原北家御子左流二条家の当主であり、歌聖藤原定家の嫡流での曾孫に当たる。為世自身もまた、「道の宗匠として、あえて比肩の仁なし」(『花園天皇宸記』)とまで称えられた、当時の歌壇の大御所だった。為世は、後宇多上皇(後醍醐父)のもと、全21ある勅撰和歌集のうち、第13である『新後撰和歌集』(嘉元元年(1303年)奏覧)と第15である『続千載和歌集』(元応2年(1320年)奏覧)の2つの勅撰集の撰者となっている。 為子ははじめ、後宇多上皇の寵姫である遊義門院(姈子内親王)に仕えていた。嘉元元年(1303年)、後宇多による『嘉元百首』に和歌を詠進した(『玉葉和歌集』旅歌・1149等)。同年奏覧された『新後撰和歌集』(嘉元元年(1303年))に和歌が撰ばれ、「遊義門院権大納言」として勅撰歌人となった。
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