橘長盛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/16 15:20 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動橘 長盛(たちばな の ながもり)は、平安時代前期の貴族・歌人。大膳大夫・橘春成の孫。尾張守・橘秋実の七男。官位は従五位下・長門守。
経歴
醍醐朝において、大膳少進・少監物を経て、兵部丞・式部丞を歴任。延喜13年(913年)従五位下に叙爵し、のち長門守に任ぜられて地方官に転じた。
勅撰歌人であり、宇多天皇の布引滝行幸に従った際に詠んだ和歌1首が『古今和歌集』に採録されており[1]、神戸市中央区の布引の滝に歌碑がある[2]。
官歴
『古今和歌集目録』による。
- 寛平9年(897年) 2月14日:大膳少進
- 昌泰2年(899年) 4月2日:少監物
- 延喜6年(906年) 2月1日:兵部少丞
- 延喜8年(908年) 2月23日:兵部大丞
- 延喜9年(909年) 正月11日:式部少丞
- 延喜11年(911年) 正月13日:式部大丞
- 延喜13年(913年) 正月:従五位下
- 延喜26年(926年) 日付不詳:長門守
系譜
注記のないものは『尊卑分脈』による。
二人の子息(直幹:『後撰和歌集』、忠幹『拾遺和歌集』『続古今和歌集』)も勅撰歌人である。
脚注
- ^ 『古今和歌集』927
- ^ 布引三十六歌碑(神戸市中央区HP)
- ^ 『古今和歌集目録』
- ^ 『本朝皇胤紹運録』
参考文献
- 『尊卑分脈 第四篇』吉川弘文館、1958年
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