しかわかしゅう〔シクワワカシフ〕【詞花和歌集/詞華和歌集】
詞花和歌集
主名称: | 詞花和歌集 |
指定番号: | 2266 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1972.05.30(昭和47.05.30) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | |
員数: | 1帖 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 詞花和謌集は崇徳上皇の院宣によって天養元年(一一四四)藤原顕輔が撰集し、仁平年間に奏覧された初度本系と、その後再度精撰奏上した再治本系がある。本書は初度本の系統に属する鎌倉後期の古写本で、詞花和謌集の数少ない善本として貴重である。綴葉装小型冊子本。 |
詞花和歌集〈後奈良天皇宸翰/〉
主名称: | 詞花和歌集〈後奈良天皇宸翰/〉 |
指定番号: | 2358 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1979.06.06(昭和54.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | 天文十二年九月二十三日書写奥書 |
員数: | 1帖 |
時代区分: | 室町 |
年代: | 1543 |
検索年代: | |
解説文: | 天文十二年(一五四三)九月、後奈良天皇が大覚寺准后義俊【じゆごうぎしゆん】僧正の所望にまかせて宸筆を染められた詞花和歌集である。帖末に書写奥書があり、天皇四十七歳の宸筆になることが判明する。表紙は紫地金銀泥菊花刷模様の原表紙に題簽を附し、外題「詞華和歌集」も宸筆に係る。本文は斐紙に半葉十行、一首一行書に書写される。詞花和歌集は古鈔本に乏しいが、本書は精選本系に属する書写優秀な禁裏本の証本として価値が高い。 |
詞花和歌集
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/02 03:09 UTC 版)
『詞花和歌集』(しかわかしゅう)は、八代集の第六にあたる勅撰和歌集。1144年(天養元年)6月2日に崇徳院が下命し[1]、藤原顕輔が撰者となって編集した[1]。1150年(久安6年)から1152年(仁平2年)の間に成立した[1]。10巻、総歌数409首[1]。古写本では『詞華和歌集』と記される[1]。
概要
藤原清輔『袋草紙』の記述に409首とあり[1]、部立は春・夏・秋・冬・賀・別・恋上下・雑上下である[1]。撰歌資料としては『玄々集』(65首)、三奏本『金葉和歌集』(63首、ただし44首が共通する)、『堀河院御時百人一首』(11首)、『久安六年御百首』(4首)が用いられた[1]。収められた歌人は、曾禰好忠(17首)・和泉式部(16首)・大江匡房(14首)など『後拾遺和歌集』時代の歌人が多い[1]。歌風は清新と評される一方、ざれ歌に似た歌も多い[1]。
六条藤原家が単独で選者になった唯一の勅撰集であり、三奏本『金葉和歌集』を吸収しつつ『千載和歌集』を生み出すきっかけを作った[1]。成立当初から批判があり、崇徳院は改撰を臨んだが、藤原清輔の死により叶わなかった[1]。『詞花和歌集』への対抗として、藤原教長『拾遺古今』や藤原為経『後葉和歌集』が編まれた[1]。
校注
- 『詞華和歌集』(松田武夫校訂、岩波文庫、1939年、新装復刊1994年)
- 『八代集3』(奥村恒哉校注、平凡社東洋文庫、1987年、ワイド版2008年)
- 『新日本古典文学大系9 金葉和歌集/詞花和歌集』(岩波書店、1989年)
- 改訂版『詞花和歌集』(工藤重矩校注、岩波文庫、2020年)ISBN 4003003195
- 『和歌文学大系34 金葉和歌集/詞花和歌集』(錦仁校注、明治書院、2006年)
脚注
関連項目
外部リンク
- 詞花集和歌データベース - 国際日本文化研究センター
「詞花和歌集」の例文・使い方・用例・文例
詞花和歌集と同じ種類の言葉
- 詞花和歌集のページへのリンク