藤原教長とは? わかりやすく解説

藤原教長

読み方ふじわらの のりなが

平安後期公卿歌人天仁2年(1109)生。藤原忠教次男。母は源俊明娘。幼名文殊崇徳天皇のとき蔵人頭参議となり、譲位後正三位叙せられる。保元の乱随従し、出家してと号す。のち高野山隠棲した。和歌・書に優れた家集貧道集』、著に『古今集註』『才葉抄』等。治承4年(1180)歿、72才。

藤原教長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/02 08:34 UTC 版)

藤原 教長(ふじわら の のりなが)は、平安時代後期から末期にかけての公卿歌人藤原北家難波家飛鳥井家始祖、大納言藤原忠教の次男。官位正三位参議


  1. ^ 『勅撰作者部類』
  2. ^ a b c d 今鏡』藤波の中 第五 水茎
  3. ^ 「権右中弁朝隆朝臣能書之誉冠絶于当世」(『台記』天養2年閏10月25日条)


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