才葉抄
才葉抄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 13:37 UTC 版)
才葉抄(さいようしょう、1巻、1177年以後、藤原伊経)は、『筆躰抄』(ひったいしょう)ともいい、安元3年(1177年)7月2日、藤原教長が高野山庵室において密談した内容を世尊寺家7代伊経が記録した口伝書であり、学書と書法に関する記述がある。教長は法性寺流について、「法性寺殿の御筆は、書く人の右へ平みたる也。」「法性寺殿の手跡は、若年の時摂政などの時は能なり。後には筆平みて、打ち付打ち付書き給うによりて、習う人の手跡損ずべきなり。」と記している。能書として知られる教長にも法性寺流の祖、藤原忠通の側筆という用筆法が和様と異なる前衛的なものとして見えたようである。
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