書家・書法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:39 UTC 版)
重ね書きの手法も用いて『源氏物語絵巻』の詞書を書いた12世紀前半の藤原伊房(世尊寺伊房)、上述の『芦手絵和漢朗詠集抄』を書写した12世紀後半の藤原伊行(世尊寺伊行)はともに世尊寺家の出身で、三跡のひとりで和様を大成した藤原行成から数えて3代目と6代目にあたる。ともに宮廷において最も権威のある、流麗典雅な書法とされた世尊寺流に属している。なお、6代伊行は日本最初の書論書『夜鶴庭訓抄』を、7代伊経も藤原教長から授かった秘伝をまとめた書論書『才葉抄』を著している。 保元の乱の当事者のひとりで、「法性寺殿」「法性寺関白」といわれた藤原忠通も能書家として知られた。その書風を法性寺流といい、平安時代末期から鎌倉時代中期にかけて流行した。世尊寺流の書風をもとに力強さと豪放さを加えた男性的な書を特徴としている。法性寺流の書法は子の九条兼実、その子良経らに受け継がれ、当時の書法の人気を世尊寺流とのあいだで二分した。
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