夜鶴庭訓抄
主名称: | 夜鶴庭訓抄 |
指定番号: | 2449 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1989.06.12(平成1.06.12) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | |
員数: | 1帖 |
時代区分: | 南北朝 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 『夜鶴庭訓抄』は、別名を『懐中抄』『夜鶴抄』とも称し、世尊寺流第六代、藤原伊行【これゆき】(?-一一七五)の撰述になる入木道【じゆぼくどう】の伝書【でんしよ】として知られ、後の『才葉抄』(藤原教長撰)等の故実書にも影響を及ぼした。 青蓮院本の体裁は粘葉装で、本文料紙共紙の表紙に「夜鶴庭訓抄〈伊経卿/〉」の外題を存し、料紙は押界を施した楮紙(斐交漉)を用い、半葉七行宛に書写している。「夜鶴庭訓抄〈伊経記之/〉」の首題に次いで「入木手ヲ書事ヲ申ス」として前書を記し、以下二二ヶ条を掲げ、本文末には文明元年(一四六九)十二月青蓮院門跡尊応(一四三二-一五一四)の感得記がある。 その内容は、冒頭に入木道に関する基本的な心構えについて触れ、草子書様、歌書様のほか、上表文、大嘗会御屏風の色紙形、内裏の額、御願寺の扉色紙形などの書様、硯、墨、筆などの文房具類、および戒牒、写経の書様のあり方について述べ、末に「能書人々」として、弘法大師、嵯峨天皇以下二二人の代表的な能書を列記し、あわせてその事跡を注記している。 『夜鶴庭訓抄』の古写本としては、従前、室町時代前期の書写になる書陵部本が知られているが、青蓮院本はその筆跡から南北朝時代の書写になる最古写本と認められる。青蓮院本は、外題および内題下の注記によって世尊寺第七代、伊経の系統本であることが知られ、八代行能の系統本である書陵部本とは若干の異同が認められ、書道史研究上に注目される。 |
夜鶴庭訓抄
夜鶴庭訓抄
夜鶴庭訓抄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/03 09:48 UTC 版)
夜鶴庭訓抄(やかくていきんしょう)は、平安時代末期に藤原伊行(世尊寺家6代目)によって著された日本における現存最古の書論書。
概要
「夜鶴」とは、白居易の『五弦弾』の中にある“第三第四絃冷冷、夜鶴憶子籠中鳴”の句に由来し、親が子を思う切実な心を表す例えとして用いられ、「庭訓」も親が子に与える教訓という意味があることから、伊行が娘の建礼門院右京大夫に与えたものとされている(『群書類従』本奥書)。
成立年代は不明であるが、後白河法皇を「当院」、高倉天皇を「当今」と表記している部分があることから、仁安3年(1168年)に即位した高倉天皇の在位中のものとされ、さらに安元3年(1177年)以後に書かれたことが確実とされている伊行の息子・伊経の書論書『才葉抄』の中に本書に言及した部分があることから、同年以前の著作であるとみられている。
本書を大きく分けると、書式・揮毫に関する故実(草子書様・和歌書様・上表文・大嘗会屏風色紙形・額・御願の扉・扇・番帳・戒牒・経・年中行事障子)、書法の実技に関する解説(硯・墨・筆・硯瓶・藁筆薦筆・鹿毛筆・急ぐ場合・雨中での揮毫・灯前での揮毫・御前での揮毫)、歴代の清書役を担当した能書家(内裏額書人々、悠紀主基御屏風人々、能書人々)から構成されている。
同書に書かれた記述の多くは能書家として代々公事における清書などを務めてきた世尊寺家にとっては「秘伝」「口伝」に属することであり、本来は書物として表に出すものではなかった。ところが、後白河院政期に入ると、摂関家を中核とした法性寺流が台頭して院の保護を受けるようになり、世尊寺流の優位が揺らぐようになる。こうした状況において、子弟の教育目的は勿論のこと、能書が世尊寺家の家学・家職であることを主張する必要性に迫られ、『夜鶴庭訓抄』や続く『才葉抄』のような世尊寺家・世尊寺流の書論書が編纂されたと考えられている。
なお、孫の行能は同書を元にして更に書札礼を中心にして論じた書論書『夜鶴書札抄』を著している。
参考文献
- 宮崎肇「中世書流の成立 -世尊寺家と世尊寺流-」(所収:鎌倉遺文研究会 編『鎌倉遺文研究3 鎌倉期社会と史料論』(東京堂出版、2002年) ISBN 978-4-490-20469-8)
関連項目
- 麒麟抄 - 一時期、日本における現存最古の書論書と言われていた。
夜鶴庭訓抄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 13:37 UTC 版)
夜鶴庭訓抄(やかくていきんしょう、1168年 - 1177年頃、藤原伊行著)は、世尊寺家6代伊行が娘の伊子(これこ、後の建礼門院右京大夫)のために書いた日本最初の和様の書論である。「夜鶴」には巣篭もりする鶴が夜通し眠らずに子を守るという意味があり、「庭訓」とは家庭の教訓である。平安時代の末期になると書の秘事口伝を重視するようになり、本書には有職故実を重んじながら書式や揮毫の作法など11項目を詳細に書き記してある。その第1項目には、「一、さうし書様。まづひきひろぐるはしより書くべし。(中略)又ての様々を一帖がうちにみせてかゝるべし。やうやうといふはいろはがき、さうみだれたるさまかへて書くべし。」とあり、世尊寺家歴代の書を見れば、この記述の実践者であったことを知ることができ、世尊寺流の伝えを知るには重要なものである。なお最後に能書24人が挙げられている。
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