書家の道へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 08:00 UTC 版)
1931年(昭和6年)、春子は偶然から、札幌の書道家の講演会に出席した。春子は書家の尾上柴舟とその作品に出逢い、久しぶりに書道に対する感動が甦った。剛太郎は春子の心情を理解し、趣味としての書道の再開を勧めた。剛太郎自身も過去に書道の経験があり、同居していた彼の両親も漢学の経験があるため、家族全員から春子の気持ちへの理解が得られた。 春子は31歳過ぎにして、書道を再開した。日中は子供や患者たちの世話、外来患者の応対、夜間も急患が頻繁にあり、書道の時間の確保は困難だったが、春子は必死に書道に励み、尾上柴舟の添削のもと、徐々に腕を上げた。やがて、過去の書家の書を書き写すのみならず、自分で工夫して書く、創作書道に乗り出した。特に春子は、日本古来の仮名文字に興味を持ち、仮名書道に取り組んだ。
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