藤原頼長とは? わかりやすく解説

ふじわら‐の‐よりなが〔ふぢはら‐〕【藤原頼長】

読み方:ふじわらのよりなが

[1120〜1156平安後期公卿忠実二男通称、字治左大臣悪左府博識多才で父に愛され、兄の関白忠通と対立崇徳上皇結んで保元の乱起こして敗死日記台記」がある。


藤原頼長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/01 09:08 UTC 版)

藤原 頼長(ふじわら の よりなが)は、平安時代末期の公卿藤原北家摂政関白太政大臣藤原忠実の三男。官位従一位左大臣正一位太政大臣


注釈

  1. ^ 「大殿の若君、摂政殿の御子と成し給う」[2]。保延2年(1136年)の内大臣任命の宣命でも、忠通の「長男」として遇されている[3]。ところが、近年になって樋口健太郎は当時の忠通の年齢はまだ若く(29歳)、後になってから男子が誕生する可能性は否定できず、頼長はあくまでも「中継ぎ」(忠通に男子が生まれれば、その子孫に摂関を譲る)であったとする説を出している[4]
  2. ^ 前述の樋口説によれば、現実に忠通に男子が生まれたことで危機感を抱いた頼長は自らの子・兼長を忠通の養子とするように迫り(これによって兼長は基実の「兄」となるため摂関家は忠通-(頼長)-兼長と継承され、忠通の実子は摂関家の継承から事実上排除される)、これが両者の対立のきっかけになったとする[4]。また、樋口は別の論文で忠実の政界復帰以降、摂関家の家政職員は忠通(-基実)に仕える者と忠実ー頼長(-兼長)に仕える者に分裂し、それもそれぞれの主人間の対立に拍車をかけたとする。つまり、基実誕生前から両者の対立の萌芽が存在したことになる(当時の公卿の家政職員は父子が共有するのが例であり、頼長は公的には忠通の子とされながら実際には忠実の子として生活していたと言える)[5]
  3. ^ 「大相国張本と為す。或いは曰く、美福門院張本と為す。法皇またこれを許し、詐って大相をもって張本と為す」との記述がある[6]
  4. ^ 頼長は法皇が三条公教に対して「左大臣(頼長)内覧事、非入道(忠実)奏請上レ之、出朕意、関白(忠通)教帝以不孝、朕心太悪、故下此宣旨」と述べたと記録している[7]
  5. ^ 頼長は儒教教育の場として大学寮の再興に務めたが、その一方で大学寮の築垣を修造した藤原憲孝を成功によって文章生に合格させたり[9]、自らが推挙する菅原登宣のために給料生の試験を行い、菅原登宣と藤原光範の2名だけが合格したのを受けて落第者には今後の望みを絶つよう書状を送ったりして[10]、学界への勢力拡大も図っている。ただし、出題内容は式部大輔藤原永範らが当日になって複数案を提出した上で蔵人頭が籤で決定し、詩文の採点には鳥羽法皇の命を受けた通憲法師(信西)も参加するなど、頼長が諸道官人たちへの影響力拡大を意図して試験を行ったとしてもその結果にまでは介入できなかったとする見解もある[11]
  6. ^ 世の乱れを治め、正しい世の中に戻すという意味[12]
  7. ^ 仁平2年(1152年)、近衛天皇の方違行幸において、輿から降りる天皇の裾を頼長が取ろうとしたところ、天皇は拒絶して自ら裾を取って降りた。頼長はこの天皇の態度を「自分を憎んでいるためであり、関白の讒言によるのだろう」と記している[13]
  8. ^ 頼長の負傷については、主要な武将に戦死者がいないことから不慮の突発事とする説(河内祥輔)、新手の軍勢が投入され放火戦術まで採られていることから激しい戦闘を裏付けるものとする説(元木泰雄)がある。
  9. ^ 興福寺の僧・玄顕による朝廷への申告では、母方の叔父で興福寺にいた千覚の房に担ぎ込まれ死去したという。
  10. ^ 一般には兼長が長男、師長が次男とみなされているが、実際には師長の方が3か月早く誕生し、また頼長も師長・兼長・隆長を競わせて後継者を定める意向を示していることから、大手前大学非常勤講師で古代史が専門の樋口健太郎は、出生順に師長を長男とするのが正しいと説いている[17]
  11. ^ 白河・鳥羽両院の近臣で博学多才を謳われた信西も「閣下(頼長)の才、千古に恥ぢず。漢朝に訪ぬるにまた比類少なし。既にして我が朝中古の先達を超ゆ」[18]と激賞している。
  12. ^ ここで言う「学生」は、現代における学生とは異なり、学者という意味である。
  13. ^ 悪僧」「悪党」の項も参照されたい。

出典

  1. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 19頁。
  2. ^ 『中右記目録』天治2年4月13日条
  3. ^ 『台記』12月9日条
  4. ^ a b 樋口健太郎 著「藤原忠通と基実―院政期摂関家のアンカー―」、元木泰雄 編『保元・平治の乱と平氏の栄華』清文堂出版〈中世の人物 京・鎌倉の時代編 第1巻〉、2014年。 /所収:樋口 2018, pp. 169–170
  5. ^ 樋口 2018, pp. 102–127, 「保元の乱前後の摂関家と家政職員」.
  6. ^ 『台記』2月11日条
  7. ^ 『宇槐記抄』久安7年正月10日条
  8. ^ 樋口健太郎「中世前期の摂関家と天皇」618号、日本史研究、2014年。 /所収:樋口 2018, pp. 29–30
  9. ^ 『台記』仁平4年6月20日条
  10. ^ 本朝世紀』6月3日条・『宇槐記抄』仁平3年6月8日・21日条
  11. ^ 戸川点「院政期の大学寮と学問状況」(初出:服藤早苗 編『王朝の権力と表象』(森話社、1998年)/所収:戸川『平安時代の政治秩序』(同成社、2018年)) 2018年、P47-49・52-54.
  12. ^ 春秋公羊伝』哀公14年
  13. ^ 『宇槐記抄』10月1日条
  14. ^ 元木 2004, pp. 48–49.
  15. ^ 久留島元「天狗説話の展開――『愛宕』と『是害房』」(2015)、92p
  16. ^ 元木 2004, p. 121.
  17. ^ 樋口健太郎「藤原師長の政治史的位置-頼長流の復権と貴族社会-」『古代文化』第57巻第10号、2005年。 /増補改稿:樋口健太郎「藤原師長論」『中世摂関家の家と権力』校倉書房、2011年。ISBN 978-4-7517-4280-8 
  18. ^ 『台記』天養2年6月7日条
  19. ^ 師茂樹公開講演 因明研究の現状と課題」『佛教学セミナー』第109巻、大谷大学佛教学会、2019年http://id.nii.ac.jp/1374/00009317/ 56頁。
  20. ^ 高橋秀樹『中世の家と性』p.82


「藤原頼長」の続きの解説一覧

藤原頼長(ふじわらのよりなが)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 00:08 UTC 版)

屍姫」の記事における「藤原頼長(ふじわらのよりなが)」の解説

王に仕える屍の一人。常に目を閉じている冷静沈着

※この「藤原頼長(ふじわらのよりなが)」の解説は、「屍姫」の解説の一部です。
「藤原頼長(ふじわらのよりなが)」を含む「屍姫」の記事については、「屍姫」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「藤原頼長」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ

「藤原頼長」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。



藤原頼長と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「藤原頼長」の関連用語

藤原頼長のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



藤原頼長のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの藤原頼長 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの屍姫 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2024 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2024 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS