藤原永手とは? わかりやすく解説

ふじわら‐の‐ながて〔ふぢはら‐〕【藤原永手】

読み方:ふじわらのながて

714771奈良時代公卿房前(ふささき)の子称徳天皇没すると、藤原百川(ももかわ)らとはかって光仁天皇擁立し道鏡追放した


藤原永手

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/23 17:14 UTC 版)

藤原 永手(ふじわら の ながて)は、奈良時代公卿藤原北家参議藤原房前の次男。官位正一位左大臣太政大臣長岡大臣と称する。


  1. ^ 木本 2012, p. 2.
  2. ^ 木本 2012, p. 3.
  3. ^ 高島 1983, p. 283.
  4. ^ 瀧浪 2017, p. 41.
  5. ^ 『続日本紀』天平勝宝7歳7月4日条
  6. ^ 木本 2012, p. 8.
  7. ^ 『続日本紀』天平宝字元年3月29日条
  8. ^ 『続日本紀』天平宝字2年8月1日条
  9. ^ 『続日本紀』への改名後初出記事について、真楯は天平宝字2年8月25日条、御楯は同8月1日条
  10. ^ 『続日本紀』天平宝字2年8月25日条
  11. ^ 木本 2012, p. 10.
  12. ^ 東野治之「東大寺献物帳と紫微中台」『佛敎藝術』259号、2001年、P29-42./所収:東野『大和古寺の研究』塙書房、2011年所収
  13. ^ 上村正裕「奈良時代の内臣と藤原永手」『古代文化』第70巻第3号、2018年、P310-324./改題所収:上村「藤原永手と内臣」『日本古代王権と貴族社会』八木書店、2023年、P169-199.
  14. ^ 上村正裕は『公卿補任』にある天平勝宝8歳5月19日に権中納言に任じられたとする記事が、実は内臣任命の記事の誤り、もしくは納言級の待遇で内臣に任ぜられたとことを示しているとしている(上村、2023年、P183-186.)
  15. ^ 木本 2012, p. 9.
  16. ^ 栄原永遠男「称徳・道鏡政権の政権構想」『追手門経済論集』27巻1号、1992年
  17. ^ a b 木本 2013, p. 32.
  18. ^ a b 木本 2013, p. 33.
  19. ^ 中川収「称徳・道鏡政権下の藤原氏」『続日本紀研究』126号、1965年
  20. ^ 木本 2013, p. 37.
  21. ^ 木本 2013, p. 41.
  22. ^ ノート:他戸親王参照。
  23. ^ 野村忠夫『奈良朝の政治と藤原氏』
  24. ^ 『日本霊異記』下巻 第三十六「塔の階を減じ、寺の幢を仆して、悪報を得し縁」
  25. ^ 東大寺要録
  26. ^ a b c 公卿補任
  27. ^ 上村正裕「奈良時代の内臣と藤原永手」説では、内臣の任命。
  28. ^ 上村正裕「奈良時代の内臣と藤原永手」説では、内臣の更迭。
  29. ^ 『続日本紀』天平神護2年正月17日条
  30. ^ 日本文徳天皇実録』天安元年11月5日条


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