一条内経とは? わかりやすく解説

一条内経

読み方いちじょう うちつね

鎌倉後期公卿歌人一条内実長男法号陀利花院。従一位関白藤氏長者に至る。『玉葉集』以下の勅撰集・『文保御百首』・『夫木抄』及び『続現葉集』にその歌を収める正中2年(1325)歿、35才。

一条内経

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/04 02:40 UTC 版)

 
一条内経
時代 鎌倉時代後期
生誕 正応4年7月17日1291年8月12日
死没 正中2年10月1日1325年11月7日
別名 号:芬陀利華院関白
官位 従一位関白内覧内大臣
主君 後二条天皇花園天皇後醍醐天皇
氏族 一条家
父母 父:一条内実
母:一条実経の娘(一条家経の異母妹)
兄弟 内経鷹司冬教
西園寺公顕の娘
経通
特記
事項
近衛中将直任[権]中納言例
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一条 内経(いちじょう うちつね)は、鎌倉時代後期の公卿歌人内大臣一条内実の子。官位従一位関白一条家4代当主。号は芬陀利華院関白(ふんだりかいん かんぱく)。

経歴

正安元年(1301年)に元服して翌年に公卿に列する。嘉元2年(1304年)、父の急死によって14歳で一条家を継いだ。『玉葉和歌集』以下の勅撰和歌集や『文保御百首』・『続現葉集』などに採録される優れた歌人であったが、政治的な才には乏しかったという。

増鏡』第十三「秋のみ山」には、文保2年(1318年)3月の後醍醐天皇即位時の行列で花山院家定と行列の序列を巡る争いが見える(この時の内経の官位は正二位行権大納言兼左大将)。文保3年(1319年)には従一位・関白・藤氏長者に昇った。

一条家の菩提所として東福寺芬陀院(ふんだいん)を建立した。正中2年(1325年)、35歳で病死。法号は芬陀利華院。

群書類従には、弘安8年(1285年亀山上皇から弘安礼節の編纂を命じられた担当者として花山院家定・二条資季と共に名前を挙げられているが、いずれも弘安8年当時に活躍していた人物ではないために疑問視されており、その編纂経緯に関しては不明である。

官歴

※日付は旧暦

系譜




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