ふじわら‐の‐よしふさ〔ふぢはら‐〕【藤原良房】
藤原良房
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藤原 良房(ふじわら の よしふさ)は、平安時代初期から前期にかけての公卿。藤原北家、左大臣・藤原冬嗣の次男。官位は従一位・摂政太政大臣、贈正一位。染殿、白河殿と称される。諡は忠仁公 、国封は美濃公。
注釈
出典
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- ^ 『日本三代実録』貞観14年3月9日条
- ^ 栗原弘『藤原良房と源潔姫の結婚の意義』(『平安前期の家族と親族』(校倉書房、2008年) ISBN 978-4-7517-3940-2 第二部第三章)P203 - P204
- ^ a b c d e f g h 『公卿補任』
- ^ 請田正幸「良房の母」(続日本紀研究会編『続日本紀と古代社会』(塙書房、2014年) ISBN 978-4-8273-1271-3)
藤原良房(ふじわら の よしふさ)
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「応天の門」の記事における「藤原良房(ふじわら の よしふさ)」の解説
左大臣。藤原北家を率いる朝廷の実力者で、今上帝の外祖父でもある。自身と藤原氏の権勢を強めることに執着し、その妨げになる人間は一族の者であっても容赦しない。
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