ふじわら‐の‐よりみち〔ふぢはら‐〕【藤原頼通】
藤原頼通
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 04:11 UTC 版)
藤原 頼通(ふじわら の よりみち)は、平安時代中期から後期にかけての公卿、歌人。藤原北家、摂政太政大臣藤原道長の長男。官位は従一位、摂政、関白、太政大臣、准三宮。
注釈
- ^ 後朱雀天皇の蔵人頭で、政治的には頼通と対立する立場にあった藤原資房も「顕官重職は、たゞ執柄(=頼通)の心に随ふべし」[1]、「いま関白の第は、これ朝廷に異ならず」[2]、と評した。
- ^ 頼通は皇太子に代々受け継がれてきた「壺切の剣」について、藤原家の娘所生の東宮の持ち物であるとして、尊仁には渡さなかった[3]。ただし、「壺切の剣」が尊仁の元にあったとする記録[4]も存在しており、事実ではない(敦明親王の話が誤って伝えられた)とする説[5]もある。
- ^ 頼通の子を産むが本人は死亡した旨の記事がある[7]。なお、この時生まれたのは男児で、3日ほどで死亡したとされる[8]。
- ^ 祇子は出生がはっきりせず、藤原頼成女とも具平親王女とも言われる。藤原頼成は具平親王の落胤で藤原伊祐の養子とされたが、祇子も同様に具平親王の落胤で兄頼成の養子となったともされる[9]。具平親王女として「源祇子」と記した資料もある。
出典
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