延久の荘園整理令とは? わかりやすく解説

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荘園整理令

(延久の荘園整理令 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/04 01:26 UTC 版)

荘園整理令(しょうえんせいりれい)は、平安時代に発布された一連の法令のこと。


  1. ^ a b c 梅村喬「〈職〉拡大の条件」『「職」成立過程の研究』(校倉書房、2011年)ISBN 978-4-7517-4360-7
  2. ^ a b 上島享「中世庄園制の形成過程―〈立庄〉再考」『日本中世社会の形成と王権』(名古屋大学出版会、2010年)ISBN 978-4-8158-0635-4(新稿)
  3. ^ 曽我良成「国司申請荘園整理令の存在」(初出:『史学雑誌』第92編第3号(史学会、1983年3月)/所収:曽我『王朝国家政務の研究』(2012年、吉川弘文館)ISBN 978-4-642-02497-6
  4. ^ なお、長久や延久の整理令の動機として、代始め徳政の一環とする五味文彦と、新しい内裏再建のための一国平均役徴収の便宜のためとする市田弘昭らによる論争がある。また、徳政を内裏を中心とした政治の正常化として捉え、五味・市田両説は並立する(内裏再建自体を徳政の一環とみなす)佐々木文昭説がある。(佐々木文昭『中世公武新制の研究』(吉川弘文館、2008年)ISBN 978-4-642-02877-6 P60-66)
  5. ^ 戸川点「一一世紀中期の荘園整理令について」(初出:『日本古代・中世史 研究と史料』1号(1986年)/所収:戸川『平安時代の政治秩序』(同成社、2018年))2018年、P116-119.
  6. ^ 『近衛家文書』陽明文庫
  7. ^ 興福寺がこの時に提出した目録が『興福寺大和国雑役免坪付帳』として、現在も興福寺に所蔵されている。
  8. ^ この時の審査結果を記した延久4年9月5日付の大江匡房の自署入りの太政官牒が、石清水八幡宮文書に収録されている。
  9. ^ 中原師守師守記康永3年6月8日告文紙背、「新修彦根市史」
  10. ^ 山下信一郎『日本古代の国家と給与制』(吉川弘文館、2012年)ISBN 978-4-642-04601-5 P289-291


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延久の荘園整理令

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/12 08:52 UTC 版)

荘園整理令」の記事における「延久の荘園整理令」の解説

慈円『愚管抄』によると、藤原頼通関白在任時に口頭摂関家領と称する違法荘園諸国出現し、そのために国務滞っているとの報告後三条天皇が受け、それがきっかけ違法荘園整理決めたという。 そこで延久の荘園整理令では、従来荘園整理令よりも強固に実行するためにそれまで地方諸国国司達に依存していた職務全て中央で行うようにした。その審査を行う機関として、延久元年1069年)に記録荘園券契所設置された。 延喜の荘園整理令以来方針として、成立由来がはっきりとしていて、かつ国務妨げならない荘園整理対象外とする事とし、更に従来命令とは違って細かい規制加えられた。 劣悪な荘田肥沃な公田無断交換してならない荘園住民荘園外で耕している公田荘園含めてならない国司経費財源として寺社等に宛がっている公田勝手に荘園(無定坪付庄)として扱ってならないまた、審査対象となる荘園摂関家領や大寺社領にまで拡大した所に特徴がある。その一方で審査対象荘園存続条件として、寛徳荘園整理令発布され寛徳2年以前成立した事を示す書類有しているとすることで、頼通整理令を受け継ぐ姿勢前面押したて、摂関家の不満をそらす等の配慮見せている。また、天皇勅許受けて発給され太政官符太政官牒荘園公験みなされ、その存在荘園整理判断材料とされた。 『愚管抄』記録所頼通にも文書提出求めた時、「そんなものはないので全て没収しても構わない」と答え頼通荘園のみ文書提出免除されたという話を伝えているが、実際に頼通荘園文書提出したことや、その審査過程上野国土井荘などの規定外の荘園没収されたことなどが、孫の師通の日記後二条師通記』や『近衛家所領目録』に記されていて、このことから摂関家経済基盤がこの荘園整理令大打撃受けたことがうかがえる。その一方で頼通荘園中核であった平等院領後三条天皇の即位直前駆け込み得た太政官符太政官牒有効な公験とされて整理対象外となったことで、実際摂関家経済基盤への打撃それほど大きなものとならず、むしろ「天皇勅許のもとに太政官符太政官牒発給得て四至確定され荘園公認される」という原則確立されたことで、むしろその後荘園制発展つながったとする指摘もある。 一方で石清水八幡宮興福寺等の大寺社も書類提出しており、石清水八幡宮審査結果34箇所の内13箇所収公されるなど、大寺勢力にも多大な影響与えていた。 その一方で後三条天皇は、収公された審査基準外の違法荘園国衙領に戻すだけでなく、勅旨田名目天皇支配下に置くなど、事実上天皇荘園構築しており、それらは後三条院勅旨田呼ばれたこの様後三条天皇発布した延久の荘園整理令は、摂関家大寺社の経済力削減皇室経済の復興などの成果上げており、後の荘園整理令大きな影響与えた

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