延べ36万人を投入か
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 10:06 UTC 版)
長坂用水開発の労務費として銀300百貫(銀300×1000文)が支払われた史料と、用水工事の5年後に延べ3519人を動員して実施された修繕工事の総人件費が2903.9文であったとする史料がある。この二つの史料から、如何に長坂用水開削工事が大規模だったかが分かると同時に、要した工期を計算できるとする文献がある。当時の一日あたりの労務費を2903.9文÷3519人=0.825文(0.000825貫)、動員総人数を、300貫÷0.000825貫≒363,636人とするもので、大変興味深い。この文献は、長坂用水の開削工期が1年でなく、少なくとも3年を要したことを史料に基づいて証明しようとしているのだが、文献中では、工期と人数/日を仮定して、動員人夫数36万人を逆算で確認することまでは試みていない。しかし、工事に応じられる徒歩通勤可能な人夫は石川郡(浅野川以南、手取川以北)内でも近隣諸村に住む農夫に限られること(寛文5年の石川郡の家数は2500戸)、当時の稲は晩生なこともあり、雪解けから晩秋までを、畦塗り、粗起こし、代掻き、種まき、田植え、草取り、刈り取り、脱穀・臼スリ、俵詰・出荷等の各作業に追われ、冬季は縄ないや米俵編みに従事するなど、農閑期と言える期間は現代農業に比べると皆無に等しいため、従事可能月数が多くないことを考慮すれば、延べ動員数36万人から、工事期間は足掛け4年(寛文11年春の完成時に通水しているので実工期には少なくとも3年)になることを文章で暗示している。
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