延享〜寛延年間
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大御所吉宗の時代。 『夏祭浪花鑑』(なつまつり なにわ かがみ) (延享2年・1745) 『菅原伝授手習鑑』(すがわら でんじゅ てならい かがみ) (延享3年・1746)『加茂堤』、『筆法伝授』、『道明寺』、『車引』、『賀の祝』、『寺子屋』 『義経千本桜』(よしつね せんぼん ざくら) (延享5年・1748)『鳥居前』、『渡海屋』、『道行初音旅』(吉野山)、『木の実』、『小金吾討死』、『すし屋』、『河連法眼館』(四ノ切) 『仮名手本忠臣蔵』(かなでほん ちゅうしんぐら) (寛延元年・1748)『大序』〜『十一段目』、『山科閑居』(九段目)、『落人』、『道行旅路の花聟』 『双蝶々曲輪日記』(ふたつちょうちょう くるわ にっき) (寛延2年・1749)『角力場』(すもうば)、『井筒屋』、『米屋』、『難波裏』、『橋本』、『引窓』 『恋女房染分手綱』(こいにょうぼう そめわけ たづな) (宝暦元年・1751) 『重の井子別れ』 『一谷嫩軍記』(いちのたに ふたば ぐんき) (宝暦2年・1752)『陣門』、『組討』(壇特山)、『林住家』(流しの枝)、『熊谷陣屋』 『京鹿子娘道成寺』(きょうがのこ むすめ どうじょうじ) (宝暦3年・1753) 『娘道成寺』、『道成寺』『奴道成寺』、『二人道成寺』 『倭仮名在原系図』(やまとがな ありわら けいず) (宝暦3年・1753) 『蘭平物狂』(らんぺい ものぐるい)(蘭平) 『釜渕双級巴』(かまがふち ふたつ どもえ) (宝暦6年・1756) 『石川五右衛門』、『釜煎』 『源平布引滝』(げんぺい ぬのびきの たき) (宝暦7年・1757)『義賢最期』、『竹生島遊覧』、『実盛物語』 『祇園祭礼信仰記』(ぎおん さいれい しんこうき) (宝暦8年・1758)『金閣寺』 『曾我万年柱』(そが まんねん ばしら) (宝暦10年・1760年)『歌舞伎十八番之内 解脱』 『鷓山姫捨松』(ひばりやま ひめすてまつ) (宝暦10年・1760年) 『中将姫』 『三十三間堂棟木由来』(さんじゅうさんげんどう むなぎの ゆらい) (宝暦11年・1761) 『卅三間堂棟由来』、『柳』『平太郎住家』、『音頭』 『御所桜堀川夜討』(ごしょざくら ほりかわ ようち) (宝暦12年・1762)『弁慶上使』、『藤弥太物語』(とうやた ものがたり) 『鷺娘』(さぎむすめ) (宝暦12年・1762年 - 現行版は明治19年・1886) 『奥州安達原』(おうしゅう あだちがはら) (宝暦13年・1763)『鶴殺し』、『文治住家』、『袖萩祭文』、『一つ家』 『傾城反魂香』(けいせい はんごんこう) (宝暦13年・1763) 『吃又』(どもまた)
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