組討
組討
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 21:35 UTC 版)
近世以前、戦場では敵将を倒し組み伏せて、鎧通しでその首をとる事がなされたが、これを組討といい、組討は古代から角力(すもう)又は相撲として行われてきた。 古代の相撲では打つ、蹴るなどの方法もとられていたことが『古事記』や『日本書紀』の記述などから伺われる。 源平の時代や中世日本における合戦では正々堂々潔さが求められ、一騎討ち(一騎懸け)が行われていたが、この一騎討ちでは矢合わせ、打物(太刀)での斬りあいのあと組討に至るのが一般的であったという(『源平盛衰記』藤平実光)。『太平記』巻第九には設楽五郎左衛門尉と斎藤玄基翁の馬上組討が記されている。 足軽の出現等によりこの一騎討ちは廃れたが、その後も合戦において組討は重要な武芸であった(「甲冑の戦いは十度に六、七度組討に至ることは必定なり。」「往古の武士の相撲を修行せしことここにあるなり。」木村柳悦守直撲『角力取組伝書』延享二年)。 このように、弓・火器、槍、刀剣の間合いに続く格闘において、微力でもって剛強の人を組み伏せた時の形状などが集められ研究された。
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