中世日本
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中世の日本では、60歳以上は年貢が免除されることから、税金逃れとして戸籍には高齢者として虚偽の記載を行った事例がある。
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中世日本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 08:23 UTC 版)
日本では追儺式時の方相氏が盾と矛を持つなどの儀式用以外は平安時代から室町時代初期にかけて掻盾を小型にしたような並べた厚板に鍋の取手の様な柄をつけた手盾があったが、主要武器の日本刀や薙刀などが両手使いに発達すると、中世以降は鎧が発達し手にもつタイプの盾(手盾)がすたれた。(騎射戦において、肩部・側面を防護する大袖を腰をひねることで正面に向け、一種の盾として利用する手法がとられていたが、この大袖による防御手段は太刀や薙刀による白兵戦にも使用された。) 一方で、地面に固定する型の盾(掻盾、垣盾などといわれる、普通は厚板二枚を縦に並べて接ぎ、表に紋を描き、裏に支柱をつけて地面に立てるようにしてある)が使われた。戦国時代になると矢だけでなく鉄砲の銃弾からの防禦も重視されるようになり、利便性と防禦性の高さから竹束が用いられるようになった。これには大型の物と小型の物が存在し、小型の物は手に持っての銃弾防禦が可能であった。使用の際は弾丸の入射角に対し斜め鋭角に設置する(避弾経始)。また、濡らした厚地の布(場合によっては広げた甲冑など鋼板製のものも共に)を建物の門や戸口などに設置し、カーテンの原理(布地の柔軟性と避弾経始を組み合わせ、飛来物の軌道と威力を逸らす作用)により弾丸を逸らす事実上の置き盾も少数例ながらあった。同様に矢玉避けに背負う母衣も盾と見ることが出来る。また陣を囲むよう多重に巡らし遮蔽させた幔幕も同様の役割を果たした。手盾については後述(東洋の盾→笠)を参照。 戦国期に多く考案された盾として、「車盾」(下部に車輪を有した攻城用盾)があり、「掻盾牛(かいだてうし)」や「転盾(まくりたて)」、「木慢」、「車竹束」、「車井楼( - せいろう)」(『軍法極秘伝書』内に記載される)などといったものがある。この他、近世の書『海国兵談』には、木慢と外観が似た吊り下げるタイプの盾の「槹木」があるが、これは城壁内に立て、城壁の上から来る投射物を防ぐための城壁を補助する盾で、車盾ではない。 近世江戸期の『和漢三才図会』には、「歩盾(てだて)」として、画と共に記述が見られ、甲冑武者が左手に長方形の盾を持つ姿が描かれている(右には短槍)。画の形式は、掻盾と同じ(この他、様々な盾を記述したものとして、『訓閲集』が見られる)。また、『三才図会』では、盾の説明として、画に車盾が描かれている。歩盾を「てだて」と読むのは、10世紀中頃の『和名類聚抄』巻十三に見られ、中国の『釋名』を引用した上で、和名を「天太天(てだて)」と記している。
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