中世日本の自治都市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 09:36 UTC 版)
ヨーロッパの自由都市に似たものは日本にも存在した。福岡市の博多や大阪市の平野郷、堺、今井町がその典型的な例である。 博多は、室町時代を通じて年行司と呼ばれる12人の豪商の会議によって市政が運営され、日本史上において初めての自由都市であった。末吉孫左衛門などの豪商を輩出した大阪市の平野郷や堺と並び貿易都市として繁栄するが、それゆえに戦国時代には戦国大名の争奪の対象となり、九州・中国地方の諸大名により侵略と破壊を受けるも、豊臣秀吉の手で再び町人の自治都市として復興された。江戸時代には博多の那珂川対岸に黒田氏が福岡城とその城下町を整備し(福岡)、また黒田藩も博多の町人自治を広く認めたため、城下町・福岡と商いの街・博多とで機能分担する双子都市が成立した。その後、明治時代に福岡と博多は統合され福岡市となった。 貿易と銃器の生産で潤った堺では、36人の会合衆(えごうしゅう)による自治が行われ、防衛のための武装組織もあった。しかし、織田政権が成立すると自治は大きく制限されるようになり、織豊政権による直轄地化、さらに古代から港湾都市、国内流通の中心であった住吉津や難波津、中世に渡辺津、自治都市の平野郷などがあった大坂の大坂城城下への強制移住によって自治都市としての歴史に幕が下ろされた。 また、今井町は浄土真宗の布教拠点として寺内町として成立し、織田信長に武装放棄させられ江戸幕末までの300年間、自治都市として発展することになる。周囲に環濠を巡らせ、9つの門を設け番屋を設置して町掟を決め自治自衛を徹底した。また17世紀後半、藩札と同じ価値のある独自の紙幣「今井札」を流通し繁栄した。
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