中世日本紀論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 02:57 UTC 版)
詳細は「中世日本紀」を参照 中世は『日本書紀』の読書史の中で1つのピークを成す。中世日本では『日本書紀』への「注釈」・「研究」を通じて原典から離れた解釈が成され、神話・神々の姿が改変され新たな創り出され、多種多様な新たな神話が創り出されていった。こうした動向はただ『日本書紀』の神話への注釈のみならず、「自社縁起・本地物・歌学書・説話文学・唱導文芸など様々な場面に見受けられる」(原)。中世神道説においては『日本書紀』は『古事記』『先代旧事本記』と並んで「神書三大部」とまでされるようになっていった。 このような中世の『日本書紀』にまつわる文芸活動・注釈への近現代の評価は伝統的に極めて低く、(『釈日本紀』という重大な例外はあるが)古伝を無視した空理空論を論じたものと認識され、中世の「日本紀注」は検討する価値のないものとして本格的な学術的研究対象として扱われていなかった。しかし、1972年に伊藤正義が中世に登場した神話言説を相対化・再評価する「中世日本紀」という研究概念を提唱し端緒を付けて以降、近代学問における注釈概念とは異なる中世独特の学問のあり方、原典の『日本書紀』から離れて注釈の形を取って展開される独自の「中世神話」の創造が研究の対象として盛んに論じられるようになった。
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