中世期の下山大工
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 08:10 UTC 版)
下山大工は石川・竹下両家を中心とした在方大工で、両家は戦国期に河内地方を領した穴山氏の本拠である下山城下町(身延町下山)に居住し、穴山氏から諸役免除を受けた役引大工としての由緒を持つ。 石川家は駿河国大石寺の本堂造営に携わったとする伝承を持ち、近世にも堂塔造営を行っている。静岡県富士宮市の富士山本宮浅間大社楼門左神像には慶長19年(1614年)に石川家が造営に携わっていた内容を記す銘文があり、中世にはすでに広域的に活動した大工集団であったと考えられている。
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