中世政治起源説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 04:39 UTC 版)
上杉聰は政治権力の存在を重視した「中世政治起源説」を提唱している。1015年(長和4年)、御所周辺に疫病で亡くなった人の死体が多数放置されているのを検非違使に処理を命じたとの記録(「小右記」4月19日)があり、検非違使庁はこれ以後河原者を使って京中の清掃(キヨメ)や警察業務に従事させた。従来は排除されていた河原者を取り入れることで支配の効率も上がることになった。上杉はキヨメの設定をもって、部落の起源としている。(律令制は10世紀末までに崩壊しており、11世紀初めは中世初期とみなされる)
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