よろい‐どおし〔よろひどほし〕【×鎧通し】
鎧通し(よろいどおし)
鎧通し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 08:23 UTC 版)
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鎧通し(よろいとおし、よろいどおし)は、日本刀の一種。その名の通り、組み打ちで敵を鎧の隙間から刺すことに特化した短刀である。
定義
刃の幅が狭く、手元部分の重ね(刃の厚み)が極端に厚く、先が薄い。極めて頑丈な造り込みの、寸の詰まった短刀である。刃長は七寸前後であるが、まれに五寸以下のものもある。刀身の全長に対し、中子が長いことも特徴である。鍔はつけない[1]。
多くは九寸五分であり[2][3]、『富樫記』『大友興廃記』に記述がみられる。
実用と役割
格闘に際し、相手に組みついて鎧の間隙から刺突する用途により、この呼称がついた。左腰に太刀あるいは大小を差している場合には帯間の煩わしさを避ける目的からも、多くは馬手差(めてざし)または右手差(めてざし)と称される拵に収められている[4]。これは右腰に逆差しに佩用して瞬時の使用に利のあるよう、配慮がなされていたという。
技法は甲冑術(柳生心眼流など)に併伝されている。
発展
鎌倉時代末(14世紀)から打物合戦が増加し、組み打ちなど接近戦が盛んになると、鎧上からの刺突を考慮し、刃渡り短く、無反りで、重ね厚に鍛える風が流行し、鎧通しと称するようになった[5]。
鎧通しは刺刀(さすが)から発展した刀である。刺刀から反りが無くまたは少なく、重ねが厚い(刀身の断面形状が厚い)「鎧通し」と呼ばれる短刀の形式に発展した(室町時代には用いられた[6])。刺刀の反りが増したものは脇差や反りが増し、長くなったものは打刀と発展していく。
備考
脚注
関連項目
外部リンク
鎧通し(よろいどおし)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:56 UTC 版)
身幅が狭く重ねが極端に厚く、寸の短い刃長7寸(約21cm)前後で身幅7分(約2.1cm)前後の短刀で、組討ち時にとっさに抜き鎧の隙間を狙うためのもの。合戦では右腰に指すことから「馬手指し(めてざし)」とも呼ばれる。古来から有名なのが粟田口藤四郎吉光の名物「厚(あつし)藤四郎」(東京国立博物館蔵、国宝)で、重ねは約1.1cm。尾張徳川家伝来徳川美術館収蔵の室町期の平安城長吉の作は重ねが約1.7cm。両者とも刃長は7寸前後だが、茎が長く、4寸前後あり、柄なしでも握りやすい肉置きとなっているのが特徴である。新々刀期に入ると時代情勢を反映してか重ねの厚い短刀が再出現するが、古作の如く、全体の姿が手馴れていないが、源清麿が鍛えた左文字写しの作は同時代を代表する鎧通し造りと言われている。鎧通しは広く知られている割に、重ねの定義も様々で、重ねが3分以上ある短刀ですら遺作が少ない。時代の姿およびその刀工の一般的な作風から逸脱する傾向があるため、刀工鑑定が困難である。また、入念作であるが元来無銘の鎧通しの名品もあり、基本的に一騎討ちを行う侍大将クラスの特注品だったと考えられる。
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