新々刀期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 01:53 UTC 版)
身幅広く重ね尋常。切先伸び心で反り深い。鍛えは無地鉄に見える小板目で、肥前刀のような小糠肌も見られる。主に備前伝の丁子乱れ刃を焼き、稀に直刃を焼く。中茎は切りに筋違の化粧鑢をかけ「肥後国住延寿太郎宗廣」、さらに年期、注文名を切る。
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新々刀期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 09:03 UTC 版)
安永(1772年)期から明治末期(1912年)頃までをいう。新々刀の祖水心子正秀は南北朝を理想とし古伝模倣を推奨し、復古刀全盛となった。また、幕末の世情により刀剣の需要も増えたため、刀工も増加した、しかし、明治9年(1876年)の廃刀令で刀工が激減した。しかし、廃刀令には軍人の軍刀は認められており、また、明治天皇が刀剣に趣味があり、帝室技芸員に月山貞一(初代)および宮本包則が選ばれるなど鍛刀技術の保護育成もあった。 主な刀工 山城伝(山城国:南海太郎朝尊 備前伝(羽前国:水心子正秀、大慶直胤、摂津国:月山貞吉) 相州伝(源清麿と清麿派:栗原信秀)、(十代綱広)、土佐国:左行秀) 筑前国:左文字派
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