ていしつ‐ぎげいいん〔‐ギゲイヰン〕【帝室技芸員】
帝室技芸員
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/05 23:27 UTC 版)
帝室技芸員(ていしつぎげいいん)は、戦前の日本で宮内省によって運営されていた、美術家や工芸家の顕彰制度である。日本の優秀な美術家・工芸家に、帝室からの栄誉を与えてこれを保護し、更に斯界の奨励、発展を図ろうとした。1890年(明治23年)設置、1947年(昭和22年)廃止。
注釈
- ^ 樋口(1968)では「蒔絵画家」と並列して記載しており、樋口が参照したと思われる「帝室技芸員」(『帝室技芸関連資料』東京国立博物館館史資料254番、マイクロフィルム番号1883、コマ番号0026)でも「画家(改行)蒔絵」と併記されている。しかし、明治23年9月付の「技芸員田崎以下左之通り宮内大臣、薦挙可被ニ付各自ノ検印ヲ請ウ」」(同コマ番号0031)と題する技芸員選択委員会におけるリストでは、「漆工 柴田順蔵」と漆工のみ記されており、こちらが公式見解だと考えられる。画家としても帝室技芸員になったと誤伝されたのは、是真は漆工としても画家としても顕彰に値する活躍をしている、と当時の人々に受け止められていたからだと考えられる[3]。
- ^ 『官報』は「禰」を変体仮名で表記。
- ^ 樋口(1968)p.32を元に備考を追加。デフォルトの順序も原図ママ。ただし柴田是真のみ、当該項目脚注史料を元に修正。
出典
- ^ 浦崎永錫 『日本近代美術発展史 〔明治編〕』 東京美術、1974年7月。
- ^ a b c d e f g h i j 『官報』第2191号、明治23年10月16日。
- ^ 横溝廣子 「柴田是真の下絵・写生帖、そして帝室技芸員関係書類が示すもの」『三井美術文化史論集』第4号、三井記念美術館、2011年3月31日、pp.57-60
- ^ 土佐派派生
- ^ a b c d 『官報』第3076号、明治26年9月28日。
- ^ a b c d e f g h i j k 『官報』第3901号、明治29年7月1日。
- ^ 『官報』第4380号、明治31年2月10日。
- ^ 『官報』第5116号、明治33年7月23日。
- ^ a b c d 『官報』第6236号、明治37年4月18日。
- ^ a b c d e f g 『官報』第6826号、明治39年4月5日。
- ^ a b 『官報』第8199号、明治43年10月19日。
- ^ a b 『官報』第419号、大正2年12月19日。
- ^ a b c d e f g h i j k 『官報』第1458号、大正6年6月12日。
- ^ 『官報』第1351号、昭和6年7月2日。
- ^ a b c d e f g h i j 『官報』第2378号、昭和9年12月4日。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『官報』第5239号、昭和19年7月3日。
- ^ 佐藤(2005)
- 1 帝室技芸員とは
- 2 帝室技芸員の概要
- 3 脚注
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