備前伝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/09 01:06 UTC 版)
備前伝は、現在の岡山県に相当する備前国に発祥した流派である。備前は古来より良質な砂鉄の一大産地であった。平安時代中期の古備前派が発祥。備前伝は、古備前派、福岡一文字派、吉岡一文字派、長船派、畠田派などで構成されていた。鎌倉時代に書かれた刀剣書『銘尽』によると、後鳥羽上皇が全国から招集した月番で作刀を担当する「御番鍛冶」12名のうち、備前伝の出身者は10名であった。鎌倉時代に始まった長船派には次々と名刀工が誕生し、日本刀史上最大の流派へと発展していった。長船派の兼光と長義は、日本一の刀工である相州派の正宗の弟子の正宗十哲とされている。高品質の刀剣を受注生産する一方で、戦争が大規模化する室町時代からは足軽に貸与する御貸刀や日明貿易で明に輸出する粗悪な刀剣を量産していた。これらの刀剣は数打ち物や束刀(たばがたな)といった。備前伝は長らく最高の繁栄を誇っていたが、戦国時代の1590年に発生した吉井川の大氾濫でほぼ壊滅した。備前伝の刀剣に見られる一般的な特徴は、腰反りで、木目肌が混じる板目肌(木の年輪のような模様が不規則な指紋のような模様に混ざる。)で、刃文は丁子文(連続する丁子の実のような模様)など派手で、沸はほとんどなく、乱れ映り(刃文と鎬の間の霞のようなグラデーション)がある。派手で華やかな印象のある刀と評価されることが多い。
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