作刀とは? わかりやすく解説

さく‐とう〔‐タウ〕【作刀】

読み方:さくとう

日本刀製作すること。また、製作した日本刀。「正宗の—」


作刀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:12 UTC 版)

山姥切国広」の記事における「作刀」の解説

1590年天正18年2月足利城長尾顕長依頼により打たれたことが銘からわかる(長尾顕長当時の状況については本作長義#来歴参照)。山姥切国広の作刀場所は、小田原城説と、足利学校説がある。徳川美術館学芸員の原は、「福永酔剣の説によると当時刀工冬至から夏至の間に打った刀に「二月」、夏至から冬至の間に打った刀に「八月」と刻む習慣がある。国広在銘57振の銘文確認したところ二月銘が18振、八月銘が23振と突出して多いことから、国広当時慣習倣っていた可能性高く本作1590年天正18年正月から旧暦夏至にあたる5月の間まで作刀期間広がる」という著述家よのすけの説を紹介している。福永酔剣自身も「(銘の「二月吉日」は)鍛冶二月冬至から夏至にいたる間を意味する思われる」と述べている。

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作刀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 15:45 UTC 版)

細田直光」の記事における「作刀」の解説

鍛冶平は偽銘師として有名になったことから偽銘注文殺到したため、現存する作刀は少ないといわれている。一説では新選組局長近藤勇佩刀していた虎徹切られた刀は、鍛冶平によって創られた贋作であるとされている。しかし、虎徹真作信じ切っていた近藤池田屋事件でも”虎徹の刀”を利用し事件委細武蔵国後援者伝え手紙にも「下拙は刀は乕徹故にや、無事に御座候」と記している。また、同じく新選組隊士として池田屋事件参加していた中村金吾は「江府細田直光 / 万延元年二月」と切られていた、鍛冶平によって創られた真作用いられていた。なお、池田屋事件参加者の刀を手入れした研師覚書によれば中村鍛冶平も「イタミナシ」であったという。

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作刀

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南海太郎朝尊」の記事における「作刀」の解説

初銘は友尊、朝高であり、後に朝尊、朝尊造 、山城国西陣住朝尊、土佐国住人権守朝尊 、森岡朝尊作 、山城国寓朝尊などの銘がある。朝尊は優れた理論家であった一方実際作品その通りはなっておらず、刀剣研究家の常石英明によれば、同時代水心子正秀源清麿作品比べると相当劣るともいわれている。 南海太郎朝尊作の刀を所持していた著名人として武市半平太がいる。半平太は1860年万延元年7月より、同門岡田以蔵久松喜代馬、島村外内らを連れて九州武者修行行っていた。修行帰途以蔵半平太らを先導する形で先に土佐国西端にある宿毛立寄っており、半平太のことを岩村有助(岩村通俊の父)に紹介していた。以蔵はしばらく宿毛に留まって、宿毛の侍たちに剣術稽古をつけていた。その後半平太も武者修行帰途宿毛立寄り数日間滞在して岩村通俊多く宿毛の侍たちと交流し宿毛滞在時に南海太郎朝尊の刀を購入したまた、新選組副長助勤務めていた安藤早太郎も朝尊作である二尺五寸の刀を持っていた。文政9年1826年9月の銘が入っていたとされており、池田屋事件死闘により物打辺りから折れていたという記録がある。なお、早太郎事件負った怪我がもとで事件2週間後に死去している。

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作刀

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肥前忠吉 (初代)」の記事における「作刀」の解説

制作時期により、五字忠銘、秀岸銘、住人銘、改銘後の忠広銘に分かれる初期は「五字忠銘」といって肥前国忠吉」の銘がほとんどのようである。 秀岸というのは僧侶らしく、この人の書く字真似て切った癖のある切銘のことを言う。 秀岸銘をやめてのち、「肥前国住人忠吉作」などと切る住人銘になる。 晩年武蔵大掾受領し名を「忠広」と改め武蔵大掾藤原忠広」と切る重要美術品の刀、脇差しがある。息子近江大掾忠広以下、幕末まで一貫して続く肥前刀の開祖いえよう

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作刀

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肥前忠広」の記事における「作刀」の解説

肥前忠広作の刀を所持していた著名人として岡田以蔵がいる。元々は坂本龍馬の刀であり、龍馬知人であった安田たまきの証言によれば龍馬脱藩する際にぬれないよう刀に油紙つつんで持ち出したとしている。『維新土佐勤王史によれば龍馬道中金銭苦労して刀の外装いくつか売り払ったようであり、京都再会した大石弥太郎からはその外見怪しまれ縁頭売り旅費にしたり」と打ち笑ったという。 さらに土佐勤王党五十嵐幾之助の回顧談によると、その後肥前忠広龍馬から岡田以蔵貸し与えられ本間精一郎暗殺の際に利用した際に切先きっさき)を破損したとされる回顧談当時靖国神社遊就館展示されていたとされているが現在は行方不明である。なお、以蔵師匠に当たる武市半平太初代忠広忠吉)の門人である河内大掾正広作の刀を所持していたとされている。

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初代仙台国包」の記事における「作刀」の解説

刀 銘奥州仙台住山城大藤原国包 寛永五年八月吉日 重要文化財1958年2月8日指定)、個人造(大阪府大阪市城東区) ^ “63 刀工国包読み”. 要説宮城郷土誌 (1983年)(仙台市民図書館,種部金蔵 編). 仙台市 (2016年). 2016年3月26日閲覧。 ^ “東北大学総合学術博物館展示品あんない13p”. 東北大学総合学術博物館展示品あんない13p. 東北大学 (2016年). 2016年3月26日閲覧

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則重」の記事における「作刀」の解説

国宝 短刀則重(号 日本一)(永青文庫健全さは群を抜き松皮肌目立たず日本一則重であろうことから「日本一則重」と呼ばれる重要文化財 太刀 銘則重福井藤島神社太刀 銘則重個人1937年重文指定) 刀 無銘則重所在不明1938年重文指定) 刀 無銘則重鹿児島神宮第二次世界大戦後GHQにより接収され所在不明) 刀 金象嵌則重上之本阿(花押)(大阪法人短刀則重大倉集古館短刀則重所在不明1940年重文指定短刀則重大阪法人1949年重文指定2014・2015年文化庁による所在確認調査結果所在不明とされた物件については「所在不明」とした。

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作刀

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天国 (人物)」の記事における「作刀」の解説

天国作成したとされるはいくつ現存するが、そもそも天国実在確認できていないことから、真偽伝承の域を出るものではない。以下、天国作刀の伝承又は記録残されているものについて、真偽問わず取り上げる。 天叢雲剣観智院銘尽』「神代鍛冶」の項目では天国について「帝尺之釼 村雲の釼作」と注釈なされている。三種の神器である天叢雲剣作者であると解読されるが、熱田神宮ないし皇居現存する草薙剣形代も含む。)がそれに当たるかは不明である。 小烏丸観智院銘尽』「大宝年中」の項目では、平家一門宝刀として伝えられる小烏丸作者記載されている。現在、小烏丸号する太刀としては、伊勢氏から宗氏経て1882年明治15年)に宗重正から明治天皇献上され大和国天国御太刀小烏丸と号す)(皇位とともに伝わるべき由緒ある物、いわゆる御由緒物、御物番号29)があるが、無銘であるものの、天国作と伝えられる。なお本太刀は、その製作は奈良時代まではさかのぼらず日本刀直刀から反りのある彎刀へと変化する平安時代中期頃の作と推定されている。本太刀も、他のいわゆる御由緒物と同様に宮中祭祀での役割担っており、同じくいわゆる御由緒物である山城国国綱御太刀名物鬼丸とともに毎年11月23日行われる新嘗祭にて使用されることとされている。 古今伝授大和国天国御太刀 皇室経済法第7条規定する皇位とともに伝わるべき由緒ある物」(いわゆる御由緒物、御物番号35)であり、現在、皇室私有財産御物)として宮内庁侍従職管理するいわゆる御由緒物の太刀多く明治以降明治天皇献上されたものであるが、本太刀は歴代天皇御譲品として代々皇室に伝わる太刀である。いわゆる御由緒物の刀剣多く宮中祭祀など皇室内の私的儀式役割担っており、本太刀は、御物名からも明らかであるとおり、代々古今伝授の節に佩用されることとされている。本太刀の持つ性質のためか、これまで一般に公開され形跡見受けられない亀戸天神社の宝刀 東京都江東区亀戸亀戸天神社社宝として伝わる太刀。『江戸名所図会』では、天国作の太刀として菅原道真佩刀していたもの同社伝わった記載されている。本太刀には「一度鞘から抜き放て決まって豪雨を呼ぶ」という伝承残されている。 山名八幡宮の宝刀 群馬県高崎市山名町山名八幡宮社宝として伝わる刀剣山名義範本社創建する際に本刀剣を奉納した伝えられる両刃直刀であり、鎌倉時代末期のものとされる成田山新勝寺の宝刀 千葉県成田市新勝寺霊宝として伝わる刀剣平将門の乱平定のため開祖寛朝朱雀天皇より賜ったものが同寺に伝わった伝えられる。現在、毎年7月行われる成田山祇園会では、本刀剣を用いた息災魔除け加持が行われている。

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作刀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/09/24 08:30 UTC 版)

津田越前守助広」の記事における「作刀」の解説

重要文化財指定されている刀(銘「津田越前守助広 延宝七年二月日」、個人)がある。その他、重要美術品に8件認定されている。また、都道府県市町村文化財指定されているものが多い。

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作刀

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郷義弘」の記事における「作刀」の解説

国宝金象嵌天正十三十二月江 本阿弥上之花押所持稲葉勘右衛門尉(稲葉江)(山口岩国美術館) 刀 無銘 義弘富田江)(前田育徳会重要文化財金象嵌義弘 本阿(花押本多美濃守所持桑名江)(京都国立博物館) 刀 義弘 本阿(花押)(松井江)(佐野美術館) 刀 無銘 義弘村雲江)(個人) 刀 無銘 義弘豊前江)(所在不明) 刀 無銘 義弘五月雨江)(徳川美術館義弘現存作刀で在銘のものは皆無である。上記の「金象嵌銘」「銘」は本阿弥家による鑑定銘であり、義弘本人切った銘ではない。 2014・2015年文化庁による所在確認調査結果所在不明とされた物件については「所在不明」とした。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/05 09:29 UTC 版)

一竿子忠綱」の記事における「作刀」の解説

重要文化財に1振り指定されている(太刀 銘一竿子忠綱同作 宝永六年八月吉」、京都国立博物館)e國宝 国指定文化財データベース国宝指定時(大正6年1917年4月5日)の所有者は、徳島県徳島市国瑞彦神社神社創建時蜂須賀家より奉納されたという由来がある)。 都道府県市町村文化財指定されているものもある。「刀 表銘 粟田口一竿子忠綱 裏銘 正徳三年二月吉日彦根藩13代・井伊直弼指料 彦根城博物館 「銘表 一竿子忠綱同作/銘裏「元禄十三二月日/彫表・剣巻龍/彫裏・梅に竹」香川県立ミュージアム脇差 銘表 粟田口一竿子忠綱同作/彫表・玉追い龍/彫裏・龍」香川県立ミュージアム 天明4年1784年3月24日江戸城中で老中田沼意次の子若年寄田沼意知佐野善左衛門政言が暗殺した際に用いられたのが二代忠綱大脇差と言う当時田沼時代呼ばれるほどの権勢誇り収賄悪名高かった田沼意次一矢報いたことから、佐野は「世直し大明神」と崇められ、またその指料であった二代忠綱の刀も大い人気集めた。 この項目は、日本の歴史関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者求めています(P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。

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近江大掾忠広」の記事における「作刀」の解説

刃文小糠肌呼ばれるよくつんだ地鉄直刃焼いた作が多く、互の目乱などの乱れ刃もある。肥前刀では父の初代忠吉、子の陸奥守忠吉に次ぐ技量といわれる

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/07 05:15 UTC 版)

三条宗近」の記事における「作刀」の解説

三条宗近とされる主な日本刀実在確認されていないものや本物確実視されていないものも含む。)は以下のとおり日本国やその地方公共団体指定する文化財については、指定名称で記載した太刀銘三条名物三日月宗近国宝徳川宗家伝来品、東京国立博物館所有詳細当該記事参照太刀銘三条 岐阜県不破郡垂井町南宮大社所有鎬造、庵棟、小切先、反り高く踏ん張りがある。地鉄小板目肌が約(つ)まり、地沸(じにえ)一面付き映り立つ。刃文細微な沸出来の小乱れその間にやや長い尖刃現れ足繁く入る、表裏に棒(ぼうひ)を掻き流し上る帽子二重刃で匂口やや沈み小丸わずかに返っている。(なかご)は生ぶ、勝手下がりの鑢目を切り、佩裏(はきうら)の目釘穴の下に「三條」と銘を切る。長さ2尺5寸8分5厘、反り1寸5厘、元幅9分。昭和初期赤坂町実業家である矢橋亮吉から同社奉納されたものである重要文化財1934年昭和9年1月30日指定)。同社は、毎年文化の日11月3日)に一般公開している。 太刀銘宗(以下一不明)伝宗近 福井県小浜市若狭彦神社所有鎬造、庵棟、小切先、反り高く、先反浅い。地鉄極めて細美、板目肌で最も約(つ)まり、所々大肌交じり細かに沸(にえ)付く。刃文は小乱れ、匂深く小沸付き、表腰に梵字、裏鎬地腰樋を刻む。生ぶ判然としないが勝手下がりの鑢目を切り、佩表に大振り二字銘があり、上は「宗」、下は「近」と略判読されるが、半ば目釘穴がかかり、朽ち込んでいる。長さ2尺6寸1厘、反り1寸6厘、元幅9分2厘。東京国立博物館寄託1795年寛政7年11月1日小浜城代の酒井忠為が病気平癒祈願の際に奉納したとされる重要文化財1912年明治45年2月8日指定)。 海老名宗近 短刀長さ1尺1寸2分。足利将軍家第8代足利義政所有として、正月年中行事儀礼の際に着用されていたと記録される当時刀装は、柄鞘あわせて1寸5・6分、赤銅金具に、梨子地の鞘と柄、目貫には丸焼付、笄は銅製といった具合であったその後豊臣秀吉渡り大坂の陣の際に消失したとされる。名の由来は、地名現在の神奈川県海老名市)又は人名からとされる享保名物帳古来名物焼失の部」記載名物である。徳川美術館には「宗近」銘の焼身短刀があり、同館では「名物海老名小鍛冶」と称している。 鷹巣三条 短刀、銘は「三条」。長さ1尺4寸。豊臣秀吉所有し、後に島津氏伝来したとされる。名の由来は、いずこかの山中にある大樹タカの巣で見つかったことからとされる享保名物帳記載名物である。別名、鷹巣宗近小狐丸 太刀九条家伝来品だが、所在不明詳細当該記事参照松代藩真田氏伝来の太刀 太刀。鎺元までの長さ2尺5寸1分、重さ138匁。松代藩真田氏所有太刀として、江戸時代末期1854年以降)の同氏所有刀剣とりまとめた『御腰物元帳』(長野県立歴史館石坂文書』中)に「三条鍛治宗近御刀御白鞘」として記載されている。真田宝物館保管され折り紙その他の文書によれば天明4年1784年正月下氷鉋(現・長野県長野市稲代町の一部在住左衛門が同藩主献上したとされる同年12月3日付け本阿弥久による折り紙では金五百代付がされている。刀身奈良県の某家に所蔵されるが、今日的には銘の真偽不明。銘は太刀裏に「宗近」。[要出典] 八代城主松井氏伝来の太刀 太刀一般財団法人松井文庫所有無銘ではあるが、宗近作として熊本藩八代城松井氏から伝来している。附として17世紀作成され黒漆鞘刀拵が現存する山城国宗近御太刀 太刀。銘は「宗近」。皇位とともに伝わるべき由緒ある物(いわゆる御由緒物)であり、現在宮内庁侍従職管理する皇室私有財産御物)である。小浜藩酒井氏伝来してきたものを、1909年明治42年)に、第16代当主酒井忠道明治天皇献上したとされるその後皇室所有刀剣は、第二次世界大戦後財産税昭和天皇崩御の際の相続税として国庫物納されたが、本太刀は小烏丸等と同様に引き続き御物として取り扱われている。御物刀剣多く宮中祭祀などで役割担っているが、本太刀も1月7日昭和天皇祭で使用されることとなっている。 太刀 伝宗近 福岡県福岡市筥崎宮所有鎬造、庵棟、細身であり、地鉄杢目肌板目肌交り、刃文直刃表裏に棒を刻む。生ぶで、目釘穴が2個ある。長さ約79.4cm、反り3cm同社では三条宗近の作と伝わっており、戦国大名大内義隆1543年天文12年)に同社本殿拝殿等を再建した際に寄進されたことを告げ寄進状が共に保存されている。福岡県指定有形文化財1956年昭和31年1月16日指定)。現在、同社宝物館保管されている。 小国神社所有の太刀2口 太刀静岡県周智郡森町小国神社所有同社では、1572年元亀3年)、武田信玄軍と織田信長徳川家康連合軍争った三方ヶ原の戦いの際に、徳川家康戦勝祈願として三条宗近の作とされる本太刀を同社奉納した伝わっている。 太刀銘伝三条小鍛治宗近作 太刀愛媛県新居浜市一宮神社所有本太刀は、同社宝物として伝わっている。新居浜市指定文化財1965年昭和40年6月3日指定)。 三条宗近銘太刀 太刀戦国時代出雲国意宇郡宍道現在の島根県松江市宍道町周辺本拠としていた武将宍道政慶は、当時その一体を支配していた毛利氏政策長門国阿武郡転封となったが、当時3歳一人娘連れて行くには忍びないとして宍道回船問屋小豆屋に預けこととした。その際金襴打ちかけとともに娘に持たせたのが本太刀であるとされ、現在も同家伝わっている。なお松江市によれば本太刀の作者は本記事記載される三条宗近ではなく室町時代の作ではないかしている。松江市指定文化財1989年平成元年7月1日指定)、なお美術工芸品ではなく歴史資料として指定されている。 八多神社所有の脇差 脇差兵庫県神戸市北区八多神社所有社伝では、同社宗近崇拝していた神社であったとしており、宗近から「日本一」と号する日本刀奉納されたと伝わる。また摂津名所図会では同地周辺宗近の旧屋があったと記載されており、宗近縁があるとされる神社である。現在、同社には、銘に宗近の名が切られ脇差白鞘宗近奉納されと書かれた脇差宗近奉納したとされる脇差保管されている。なお、いずれも真偽定かではない三条小鍛冶宗近作太刀 太刀。「太刀 三条小鍛冶宗近作 二尺一一腰 祖の所持弘通の節之レを帯す北条源太殿より之レを献ず」(富士大石寺明細誌)日蓮聖人所持三条小鍛冶宗近作御太刀 太刀。(公財)占出山保存会所有祇園祭山鉾一つ占出山御神体神功皇后佩く太刀太刀について、占出山町文書によると、天保五年(1834年)、京都洛北大原郷内野村嵯峨天皇の劔を打った真守の作と伝わる古刀持っていた山内玄達という人物鍛刀旧跡近くの飯道大権現古刀奉納すべく研磨依頼したところ、三条宗近の銘がでてきた。そこで、宗近作と名高い長刀鉾にちなみ、占出山神功皇后宮に山内法橋玄達が奉納すると書かれている平成30年祇園祭山鉾連合会調査報告書によると、「太刀は、京都古刀特色有しており、刀に漢字2文字の銘を認め見ようによっては「宗近」とも読めるまた、件の奉納経緯の譚の信憑性は高い。しかし、もっとも宗近在銘基準作はほとんど皆無近く、これを宗近真作認めるのは容易でない。」とされ、この太刀三条宗近作の太刀であるかは分かっていない。なお、宵山展示されている太刀は、山鉾巡行用の複製品(国の重要有形民俗文化財)で、実物京都国立博物館寄託されている。

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