延伸と経営改善
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 00:16 UTC 版)
「ロンドン地下電気鉄道」の記事における「延伸と経営改善」の解説
ロンドン地下電気鉄道は、郊外に路線を延伸し、沿線の住宅地としての開発を促すことで、乗客数を増加させる施策を採った。ディストリクト鉄道は1910年にアクスブリッジ(英語版)まで延伸し、メトロポリタン鉄道の路線と接続した。1913年にベーカールー・チューブは パディントンに、1917年にはクイーンズ・パークを経由してワトフォード・ジャンクションまで延伸された。ハムステッド・チューブは1914年に南側にエンバンクメントまで延伸し、ディストリクト鉄道及びベーカールー・チューブと接続した。ハムステッド・チューブは北側でも1924年にゴルダーズ・グリーンからミドルセックスのエッジウェアに、1926年には南側でケニントンに達してシティ・アンド・サウス・ロンドン鉄道と接続した。シティ・アンド・サウス・ロンドン鉄道は同じく1926年にトンネル改築と併せ、クラップハム・コモン(英語版)からモーデンまで延伸された。セントラル・ロンドン鉄道は1920年にイーリング・ブロードウェイまで延伸された。リッチモンド延伸の国王裁可は1913年におり、1920年に再度裁可されているが、路線は建設されないままとなった。後年、1932年から1933年にかけてピカデリー・チューブは両端で延伸が行われ、北側はフィンズベリー・パークからコックフォスターズへ、西側はハマスミスからディストリクト鉄道の線路に乗り入れてハウンズロー、アクスブリッジに足を伸ばした。 平行して、ロンドン市内中心部の混雑が激しい駅の近代化計画が推進され、エレベーターを撤去してエスカレーターを新設する工事が行われた。新造や更新により車両両端に手動式ゲートを設置していた車両が、中央寄りに自動ドアを設置した車両に置き換えられ、乗降時間の短縮がはかられた。1920年代半ばには巨大化した組織に対応するため、 チャールズ・ホールデン(英語版)設計による新本社が セント・ジェームズ・パーク駅の直上にあたるブロードウエイ55番地(英語版)に建設された。
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