セントラル・ロンドン鉄道とは? わかりやすく解説

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セントラル・ロンドン鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/07 06:41 UTC 版)

セントラル・ロンドン鉄道(セントラル・ロンドンてつどう、英語: Central London Railway、略称 CLR)は、ツーペニーチューブ(Twopenny Tube、2ペンスの地下鉄)の別名でも知られる、1900年にロンドンに開業した地下深くを走る「チューブ」の鉄道である[注 1]。こんにち、セントラル・ロンドン鉄道の路線と駅は、ロンドン地下鉄セントラル線中央部を構成している。


注釈

  1. ^ チューブは、シールドトンネルにより地下深くに円形のトンネルを建設した地下鉄である。
  2. ^ 現在サークル線となっているインナーサークルは、地表に近いところを走る地下鉄で、メトロポリタン鉄道とメトロポリタン・ディストリクト鉄道が共同運行していた。
  3. ^ できるだけ早く路線を完成させるよう鉄道会社に促すために、こうした期限が設定されていた。また実現しない鉄道路線のために、新たな路線の提案ができなくなるのを防ぐためでもあった。
  4. ^ 記念プレートがバンク駅に設置されており、当時の重役の一覧、ヘンリー・オークリー英語版(会長)、チャールズ・コルヴィル英語版フランシス・クノリス英語版、アルジャーノン・ミルズ、デービッド・プランケット英語版ヘンリー・テナント英語版が示されている[25]
  5. ^ ロンドンのドックに到着した機関車は、艀に載せられて川をチェルシーまで運ばれ、そこから車両基地に送られた。艀のうち1隻は途中で沈没してしまったが、分解された機関車は引き上げられ、他の機関車とともに使用された[30]
  6. ^ 当初は1本の列車を運転するために8人の乗務員が必要であった。運転士、運転助士、前部と後部の車掌、そして4人の保安係である[32]
  7. ^ 既存の地下鉄の延長法案に加えて、7本の地下鉄新線の法案が1901年の議会に提出されていた[38]。多くが女王裁可を得たものの、建設にこぎつけたものはなかった。
  8. ^ メトロポリタン鉄道とメトロポリタン・ディストリクト鉄道の両社とも、ハマースミスとシティ・オブ・ロンドンを結んで運行していた。メトロポリタン鉄道はパディントンとインナーサークルの北側を経由して結んでおり、メトロポリタン・ディストリクト鉄道はアールズ・コートとインナーサークルの南側を経由して結んでいた。蒸気機関車が牽引する鉄道は遅く、また他の系統を走る列車と線路が競合しておりダイヤ設定が難しかった。この区間に速い電車を運転すれば魅力的であると考えられた。
  9. ^ 1901年時点では、メトロポリタン・ディストリクト鉄道、メトロポリタン鉄道、ロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道英語版の3社がハマースミスに駅を構えていた。ただしロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道は1916年に駅を廃止している。
  10. ^ a b ブロンプトン・アンド・ピカデリー・サーカス鉄道とグレート・ノーザン・アンド・ストランド鉄道が合併して1902年にグレート・ノーザン・ピカデリー・アンド・ブロンプトン鉄道となり、これが現在のピカデリー線の前身である。
  11. ^ ウィンザー卿の委員会は東西方向のチューブに関する法案を審議し、別に設立されたリッブルスデール卿英語版が率いる委員会が南北方向のチューブに関する法案を審議した[45]
  12. ^ この高架橋は、メトロポリタン・ディストリクト鉄道のリッチモンド、ハウンズロウ、イーリングやアクスブリッジまでの電車と、ロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道の蒸気機関車牽引の列車を分離するために1911年に拡張されていたが、メトロポリタン・ディストリクト鉄道の電車がロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道の列車を圧倒したため、ロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道自身は1916年に列車の運行から撤退していた。高架橋と線路そのものはロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道の所有であった[70]
  13. ^ 1906年にはセントラル・ロンドン鉄道は43,057,997人を運んでいた。1907年には14パーセント減少して36,907,491人となった。英仏博覧会により1908年は増えたが、それ以降は再び減少して1912年にはおよそ3600万人となっていた[56][73]
  14. ^ 1907年7月から、12枚つづりの3ペンス区間回数券は2シリング9ペンスで販売されるようになり、3ペンスの割引となった。また1908年11月から、12枚つづりの2ペンス区間回数券は1シリング10ペンスで販売されるようになり、2ペンスの割引となった[56]
  15. ^ 同時に、ロンドン地下電気鉄道はシティ・アンド・サウス・ロンドン鉄道も買収し、ロンドン地下電気鉄道の2株とシティ・アンド・サウス・ロンドン鉄道の3株を交換した。これは同社の財務状況が悪いことを反映したものであった[79]
  16. ^ ベーカールー線のワトフォード・ジャンクション延長は1917年に、チャリング・クロス・ユーストン・アンド・ハムステッド鉄道のエッジウェア駅までの延長は1923年 - 1924年に、そしてシティ・アンド・サウス・ロンドン鉄道のモーデン駅までの延長は1926年に開通した[26]
  17. ^ 実質的にバス事業を独占していたため、ロンドン総合路線バス会社は莫大な利益を上げ、地下鉄会社がかつて払ったことのないような高い配当を実現していた。ロンドン地下電気鉄道に買収される前年の1911年には、配当は18パーセントであった[73]
  18. ^ セントラル・ロンドン鉄道という会社は、旧会社の株主に分配できないロンドン旅客運輸公社の端数株の保管と、セントラル・ロンドン鉄道の証券への利息支払いのために存続した。会社の清算は1939年3月10日のことであった[82]

出典

  1. ^ a b c 路線の長さはClive's Underground Line Guides, Central line, Layout”. Clive D. W. Feathers. 2010年3月30日閲覧。に基づく。
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セントラル・ロンドン鉄道

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トテナム・コート・ロード駅」の記事における「セントラル・ロンドン鉄道」の解説

トテナム・コート・ロード駅はセントラル・ロンドン鉄道の駅として1900年7月30日開業した1933年9月24日までは当駅の東側には大英博物館駅(英語版)があったが廃止され以降ホルボーン駅が東隣の駅となっている。駅ホームオックスフォード・ストリート西のセント・ガイルズ・サーカスにあり、改札階とホーム東側設けられエレベーター結ばれていた。開業時オックスフォード・ストリート上に設けられ駅舎は、他のセントラル・ロンドン鉄道の駅同様ハリー・ベル・メジャーズ(英語版)が設計したのだった幾多改造によりほとんど原形とどめておらず、2009年の駅改築により元の駅の大半失われたが、ファサードなど一部は現在も残されている。

※この「セントラル・ロンドン鉄道」の解説は、「トテナム・コート・ロード駅」の解説の一部です。
「セントラル・ロンドン鉄道」を含む「トテナム・コート・ロード駅」の記事については、「トテナム・コート・ロード駅」の概要を参照ください。

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