リッチモンド、1913年および1920年
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「セントラル・ロンドン鉄道」の記事における「リッチモンド、1913年および1920年」の解説
1912年11月に、セントラル・ロンドン鉄道はシェパーズ・ブッシュから新しく南側への延長路線の計画を発表した。ゴールドホーク・ロード、スタンフォード・ブルック・ロード、バース・ロードの下にトンネル建設が計画され、チスリック・コモンからターナム・グリーン・テラスの下の短い距離のトンネルで南へ向かう。そこから再び西へチスリック・ハイ・ロードの下を通り、ロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道のガンナーズベリー駅(英語版)の東側で地上に出る。ここでロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道の線路に接続して、リッチモンド駅(英語版)まで同社の路線へセントラル・ロンドン鉄道の列車が乗り入れる。この区間はディストリクト鉄道も共用しており、1905年に電化されていた。ゴールドホーク・ロードにはその交差点にザ・グローブ駅、パッデンスリック・ロード駅、ライレット・ロード駅の各駅が、エムリン・ロードにはスタンフォード・ブルック・ロード駅が、ターナム・グリーン・テラスにはロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道やディストリクト鉄道のターナム・グリーン駅と接続駅が、そしてチスリック・ハイ・ロードの交差点にはヒースフィールド・テラス駅が建設されることになっていた。リッチモンド駅より先では、さらにロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道の路線上をトゥイッケナム、サンベリー=オン=テムズ(英語版)、シェパートン(英語版)などの通勤需要のある町へ延長する可能性を見込んでいたが、これには路線の電化が必要であった。セントラル・ロンドン鉄道はガンナーズベリー駅までの新線の許可を1913年8月15日に1913年セントラル・ロンドン鉄道法として得たが、第一次世界大戦のために着工することができず、許可は失効した。 1913年と1920年に許可された路線 1919年11月、セントラル・ロンドン鉄道はリッチモンドまでの延長を復活させる新法案を提出したが、今度はトンネル建設がより短くで済む別の経路を用いていた。新しい提案ではシェパーズ・ブッシュ駅から南へトンネルを建設し、地上に出た後、1916年に廃止されたハマースミス(グローブ・ロード)駅(英語版)の北側にあるロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道の使用されていない線路に接続することになっていた。ハマースミスからは、使われていないロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道の線路が西へと通じており、ディストリクト鉄道の線路がターナム・グリーンからガンナーズベリーやリッチモンドへ通じているのと同じ高架橋になっていた。この計画では使われていない線路を電化する必要があったが、費用の掛かるトンネル建設を避けることができ、またディストリクト鉄道と既存の駅を共用することができた。この計画は1920年セントラル・ロンドンおよびメトロポリタン・ディストリクト鉄道(建設)法として1920年8月4日に国王裁可を得た。しかしセントラル・ロンドン鉄道はこれを建設するための動きに出ることはなかった。レイブンズコート・パーク駅(英語版)とターナム・グリーン駅の間の使われていなかったロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道の線路は結果的に、1932年にピカデリー線をハマースミスから西へ延長するために使われることになった。
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