ウッド・レーン、1906年 - 1908年
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「セントラル・ロンドン鉄道」の記事における「ウッド・レーン、1906年 - 1908年」の解説
政府は1905年に、その前年に結ばれた英仏協商を記念して国際博覧会を開く計画を発表した。英仏博覧会(英語版)のホワイト・シティ(英語版)会場は、セントラル・ロンドン鉄道の車両基地からはウッド・レーンを挟んだ位置にあった。博覧会への観客輸送の機会をとらえて、セントラル・ロンドン鉄道は1906年11月にシェパーズ・ブッシュ駅からループ線を建設して、ループ線上の博覧会の入口が建設される位置に近い場所にウッド・レーン駅(英語版)を建設する法案を発表した。この工事は1907年7月26日に1907年セントラル・ロンドン鉄道法として承認された。 この新しいループ線は、シェパーズ・ブッシュ駅西側の折り返し用引き上げ線の終端と、車両基地の北側を結ぶように建設された。シェパーズ・ブッシュ駅からは反時計回りに単線のトンネルを列車が走り、まず当初は車両基地へ通じるトンネルだった場所を通り、そこから車両基地北側へ出て、新しい駅に到達し、そこから新しく建設されたトンネルを通ってシェパーズ・ブッシュ駅へ戻ってきた。新しい駅と、ループを周る列車の運行のために、車両基地の構成も変更された。博覧会会場の建設工事は1907年1月に始まった。博覧会と新しい駅は1908年5月14日に使用開始された。駅は2本のトンネルの間の地上部にあり、基本設計はハリー・ベル・メジャーズが行った。曲線上の線路の両側にプラットホームがあり、降車客が一方を、乗車客がもう一方を使うようになっていた。
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