ウッドワード研究所と晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 01:46 UTC 版)
「ロバート・バーンズ・ウッドワード」の記事における「ウッドワード研究所と晩年」の解説
ハーバード大学にいる間、ウッドワードはスイスバーゼルに1963年に設立されたウッドワード研究所の所長を務めた。また、彼の母校であるMITの評議員を1966年から1971年までたほか、イスラエルのワイツマン研究所の評議員を務めた。 ウッドワードは、就寝中、心臓発作によりマサチューセッツ州ケンブリッジで死去した。当時、彼は抗生物質エリスロマイシンの合成を行っていた。彼の学生の一人は彼に次のように述べている。 私はR. B. ウッドワードから多大な恩恵を受けた。彼は、結果についての明白なアイデアによってではなく、知性と努力がそれらを解決するという自信によって困難な問題に挑むことが出来ることを、私に示した。彼は、現代有機化学の美を、詳細で注意深い論理的思考の分野との関連を、私に示した。彼は、専門化する必要がないことを、私に示した。ウッドワードは、合成戦略、難しい構造の推定、新たな化学の発明、理論的な側面について多大な貢献をした。彼は彼の生徒に、我々の科学に完全に没頭することによって満足が得られるのだ、と模範を示して教えた。このような素晴しい化学者との交流の記憶を私は宝として大切にする。
※この「ウッドワード研究所と晩年」の解説は、「ロバート・バーンズ・ウッドワード」の解説の一部です。
「ウッドワード研究所と晩年」を含む「ロバート・バーンズ・ウッドワード」の記事については、「ロバート・バーンズ・ウッドワード」の概要を参照ください。
- ウッドワード研究所と晩年のページへのリンク