ウッドワード以降の全合成例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/01 19:29 UTC 版)
「キニーネ」の記事における「ウッドワード以降の全合成例」の解説
二例目の全合成は、キニーネの工業的な生産を目指したエフ・ホフマン・ラ・ロシュ社のミラン・ウスココヴィッチらによって達成された。彼らは6-メトキシレピジン(6-メトキシ-4-メチルキノリン)とN-ベンゾイルメロキネンをLDAで縮合させ、DIBALで脱保護とケトンの還元を行った。さらにヒドロキシ基をアセチル化して、三フッ化ホウ素を作用させてキヌクリジン環を構築し、デスオキシキニーネとした。最後にこれをDMSO中で酸素酸化することでキニーネを合成している。この方法では酸素酸化が立体選択的に起こるため9位の立体化学はコントロール可能であるが、8位については混合物となる。この時点ではメロキネンの全合成が確立していなかったが、これが1971年に彼らにより行われ全合成が達成された。 8位と9位両方の立体化学を制御した全合成は2001年にギルバート・ストークによって初めて達成された。ストークは学生時代からキニーネの全合成に興味を持っており、1944年にウッドワードに宛てた合成の詳細を問い合わせる手紙が残っている。ストークは(S)-3-ビニルブチロラクトンを原料にキヌクリジン部分の元になる保護されたヒドロキシ基、アミノ基の前駆体となるアジド基を持つ鎖状アルデヒドを合成した。続いて6-メトキシレピジンをアルデヒドに付加させ、生成したアルコールをケトンへと酸化した。アジド基を還元するとケトンとの間でイミンの形成が起こり、これを水素化ホウ素ナトリウムで還元するとピペリジン環となる。8位の立体化学はこの還元の段階で決定され、キニーネと同じ立体配置の化合物だけが得られる。その後、保護されたヒドロキシ基をメタンスルホン酸エステルへと誘導して、環化させキヌクリジン環を構築してデスオキシキニーネへと誘導した。デスオキシキニーネからキニーネの合成はウスココヴィッチと同じ方法を用いており、9位についてもキニーネと同じ立体配置の化合物だけが得られる。
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