キニーネの合成
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ロンドンの王立化学大学(英語版)のアウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ホフマンの学生であったウィリアム・パーキンは、1850年代にキニーネの商業的なプロセスでの合成を試みたが失敗に終わった。そのアイデアは、2分子のN-アリルトルイジン (C10H 13N) と3つの酸素原子からキニーネ (C20H24N2O2) と水を生成する、というものであった。N-アリルトルイジンの酸化によってキニーネの全合成を試みた際、代わりに生成されたのはモーブであった。パーキンの発見以前は、染料や色素はすべて、根、葉、昆虫などに由来するものであり、当時の紫色の染料ティリアンパープルは貝に由来する (貝紫) 高価なものであった。 キニーネの合成は1918年まで成功しなかった。合成は現在でも手が込んだものであり、高価で収率が低く、立体異性体の分離という別の問題も生じる。キニーネは治療で用いられる主要な薬剤ではないが、現代の生産でも未だキナノキからの抽出に依存している。
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