全合成研究の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/01 19:29 UTC 版)
キニーネの合成をはじめて試みたのは、ウィリアム・ヘンリー・パーキンで1856年のことである。彼はキニーネの分子式から、N-アリルトルイジン(C10H13N)を酸化すればキニーネが得られるのではないかと考えた。当時はまだ化学構造の概念は未熟であったので、このような考え方が成り立ったのである。パーキンはキニーネを合成することはできなかったが、研究途中で最初の合成染料モーブを発見した。 1860年代に化学構造論が興ると天然物合成には構造決定が必須ということが判明する。構造決定のためになされた研究で発見されたキニーネの分子断片であるキニン酸やメロキネン、また1853年にルイ・パスツールによってキニーネの酸による分解で得られたキノトキシンなどはキニーネの合成原料や合成中間体として重要であった。 1908年にパウル・ラーベはキニノンの脱メトシキ体であるシンコニジノンをアルミニウムで還元してシンコニンを得、さらに1911年にはキノトキシンの脱メトシキ体であるシンコトキシンを次亜臭素酸ナトリウム、続いてナトリウムエトキシドで処理することでシンコニジノンを得た。1918年にはラーベとカール・キンドラーはこの手法をキノトキシンに適用してキニーネを得ることができたと主張した。しかしこの論文ではキニノンの還元についての実験操作の詳細が書かれず、また後から補完もなされなかったことが後に問題を引き起こすことになる。さらに1931年にはラーベらはジヒドロキニーネの全合成に成功した。彼らはp-アニシジンからキニン酸エチルを、3-エチル-4-メチルピリジンからN-ベンゾイルホモシンコロイポンエチル(ethyl N-benzoyl-3-(3-ethylpiperidin-4-yl)propanoate)を構築した。クライゼン縮合でこれらを結合させた後、塩酸で脱炭酸と脱保護を行ってジヒドロキノトキシンに誘導し、さらに上で述べた次亜臭素酸ナトリウムと、接触還元を用いてジヒドロキニーネへと誘導している。なお、この方法では8位と9位の立体化学についてはコントロールできず、生成物は4種類のジアステレオマーの混合物となる。 1943年にはウラジミール・プレローグらがシンコトキシンを分解してホモメロキネン3-(3-vinylpiperidin-4-yl)propanoic acidを得た。彼らはこれをラーベのジヒドロキニーネの全合成と同じ方法でキノトキシンへと誘導できることを確認した。キノトキシンは1918年のラーベの報告によればキニーネに誘導できるから、ホモメロキニンの合成法が確立できればキニーネの合成法が確立することになる。 1944年にロバート・バーンズ・ウッドワードとウィリアム・デーリングは3-ヒドロキシベンズアルデヒドからホモメロキネンを合成する方法を報告した。さらにウッドワードらはこれをN-ベンゾイルキノトキシンまで誘導した。これをもってキニーネの全合成が完成したとされる。当時は第二次世界大戦中であり熱帯地域での戦闘でマラリアに感染する兵士が続出しキニーネの需要が高まっていたこと、キナの主産地であったインドネシアを日本におさえられていたことから、実際には工業的にはとても利用できない成果であったにも関わらず、ニューヨーク・タイムズなどの一般の新聞紙や雑誌でも大きく報じられた。
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