全周包囲されるウクライナ軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 01:40 UTC 版)
「イロヴァイスクの戦い」の記事における「全周包囲されるウクライナ軍」の解説
8月24日から8月26日、イロヴァイスクに残っていたウクライナ軍部隊はドネツク人民共和国軍とロシア軍増援部隊によって完全に包囲された。 8月24日、ウクライナ軍はロシア正規軍部隊を発見し、その数は日増しに増大した。コムチャック地区司令官は、D地区本部およびウクライナ国境機関から、約80~100両のロシア軍装甲車がウクライナ国境を越えたと言う情報を受け取った。私服を着ていたウクライナ軍第93機械化旅団の2名の将校はウクライナへ侵入するロシア軍縦隊に出くわした。ロシア軍はその2名の将校を分離主義者だと勘違いして通過させたことにより、彼らは対テロ作戦上層部に敵情を報告できた。しかし、対テロ作戦幕僚はその報告を退け、ロシア軍縦隊はウクライナ軍部隊だろうと解釈した。D地区幕僚長のロミハイロ大佐は、アムウローシイフカでロシア大隊戦術群がウクライナの奥深くまで侵入していることを自らの目で確認した。ロミハイロ大佐の情報は、ウクライナ軍参謀本部長ヴィクトル・ムジェンコに報告されたが、「単なる示威行動」とされた。結局、ウクライナ国防省がロシア軍の侵攻を認識したのは8月25日になってからであった。 8月24日午後12時50分頃、クティニコブ村(Kuteinykove)近くでウクライナ軍第51機械化旅団の対戦車分隊はロシア軍第331空挺連隊のBMD-2空挺戦闘車の縦隊を攻撃し、2両のBMD-2を撃破した。ロシア軍空挺兵は下車し近くの林に隠れた。午後5時頃、ウクライナ軍大隊戦術群本部が位置していたジェルカーン村(Dzerkalne)近くで、ウクライナ軍第51機械化旅団の偵察グループが、前進中のロシア軍空挺兵10名を捕虜にした。 8月26日、Ahronomichne村近くの戦闘でウクライナ軍第51機械化旅団の部隊はロシア軍第6戦車旅団のT-72B3戦車1両を鹵獲した。その戦車はMnohopillya村近くで別の戦闘に参加していたものであった。Mnohopillya村では、ウクライナ軍第51機械化旅団の対戦車砲兵分隊がロシア軍第8山岳旅団・第31空中攻撃旅団の混成部隊の縦隊を伏撃しており、ウクライナ軍はロシア軍第31空中攻撃旅団の2名の兵士と第8山岳旅団の1名の負傷兵を捕虜にした。 ドネツク人民共和国によれば、多数のウクライナ軍兵士と準軍事組織部隊がイロヴァイスク市内に閉じ込められた。戦闘中、ドニプロ-1大隊のウクライナ人指揮官は脳震盪を起こし、ヘルソン大隊長は戦死した。ドンバス大隊指揮官センメンセンコの請願に応えて、ウクライナ首都のキエフで多数のユーロマイダン活動家が、反政府軍と戦っている義勇兵を政府が「見捨てた」ことに関して抗議した。反政府軍砲兵が繰り返す弾幕によって、包囲されているウクライナ軍は大損害を被った。
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