キニー・ナショナル/ワーナー・コミュニケーションズ子会社(1967年 - 1990年)
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1967年、ナショナル・ピリオディカル・パブリケーションズ社はキニー・ナショナル・カンパニーに買収され、1969年にはワーナー・ブラザース=セヴン・アーツを買収した。キニー・ナショナル社は、1972年にエンターテインメント以外の資産を(ナショナル・キニー・コーポレーションとして)分離し、社名をワーナー・コミュニケーションズ社に変更した。 1970年、ジャック・カービーはマーベル・コミックスからDCに移籍した。マーベルでのカービーの貢献が大きな役割を果たしていたコミックスのシルバー・エイジの終わりだった。カービーは、自分でストーリーを書き、イラストを描くことを許され、テーマに沿ったいくつかのシリーズを作り、それらを総称して「第4の世界」と呼んだ。カービーは、既存の「スーパーマンの仲間ジミー・オルセン」シリーズや、新たに立ち上げた「ニューゴッズ」、「ミスター・ミラクル」、「フォーエバー・ピープル」シリーズで、大悪党ダークセイドや異次元の世界アポコリプスなどの不朽のキャラクターやコンセプトを紹介した。さらに、カービーはこれらの作品を、後に業界で標準となるトレードペーパーバックと呼ばれる出版形態で、コレクション版として再版することを意図していた。売り上げはまずまずだったが、DCの経営陣の当初の期待には応えられず、また、インファンティーノの理解力や社内のサポート不足にも悩まされた。1973年には「第4の世界」はすべてキャンセルされたが、カービーの構想はすぐにDCユニバースの拡大に欠かせないものとなり、特に大手玩具メーカーのケナー・プロダクツ社がDCユニバースのアクションフィギュア化である「スーパーパワーズ・コレクション」に最適だと判断した後は、カービーは契約に縛られてDCで「カマンディ」「デーモン」「OMAC」などの無関係なシリーズを制作したが、最終的にはマーベル・コミックスに戻った。
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