アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ホフマン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/30 00:14 UTC 版)
アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ホフマン August Wilhelm von Hofmann |
|
---|---|
![]()
アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ホフマン
|
|
生誕 | 1818年4月8日![]() |
死没 | 1892年5月5日 (74歳没)![]() ![]() ブランデンブルク州 ベルリン |
研究分野 | 有機化学 |
研究機関 | ボン大学 王立化学大学 ベルリン大学 |
出身校 | ギーセン大学 |
博士課程 指導教員 |
ユストゥス・フォン・リービッヒ |
博士課程 指導学生 |
長井長義 リヒャルト・アベッグ アドルフ・ピンナー フリッツ・ハーバー カール・フォン・アウヴェルス Rudolf Nietzki フェルディナント・ティーマン ユーゲン・バンバーガー |
他の指導学生 | 柴田承桂 中濱東一郎 ウィリアム・パーキン |
主な業績 | ホフマン転位 ホフマン脱離 |
主な受賞歴 | ロイヤル・メダル (1854年) コプリ・メダル (1875年) |
配偶者 | Helene Moldenhauer(1846年8月12日) Rosamond Wilson(1856年12月13日) Elise Moldenhauer(1866年5月19日) Bertha Tiemann(1873年8月11日)[1] |
プロジェクト:人物伝 |
アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ホフマン(August Wilhelm von Hofmann、1818年4月8日 - 1892年5月5日)は、ドイツの化学者。19世紀ドイツを代表する有機化学者。
生涯
ギーセン生まれ。初めゲッティンゲンで法学などを学び、のちにユストゥス・フォン・リービッヒのもとで化学を学んだ。なお、建築家の父も。1845年にロンドンに新設された王立化学大学(Royal College of Chemistry)教授となった。1864年にドイツに帰ってボン大学に移り、1865年からベルリン大学の教授を務めた。
没後の1902年にアウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ホフマン・メダルが設立された。
ホフマンの業績は有機化学の非常に広い範囲に及ぶ。最初リービッヒの元でコールタールの研究を行い、これをもとにアニリン関連の研究を生涯にわたり続けた。さらにアミンやアンモニウム塩などの研究も行い、またローズアニリンなどの色素を創製した。
ホフマン則、ホフマン脱離(アミンからのオレフィンの生成;ホフマン則に従う)、ホフマン分解(アンモニウム塩からの三級アミンの生成)、ホフマン反応(ホフマン転位、酸アミドからのアミンの生成;これをホフマン分解と呼ぶこともある)、ホフマンバイオレット(色素)など彼の名を冠した反応や法則、物質名は数多い。
日本との関係
特に長井はホフマンのもとで博士号を取得し、教授助手も務めている。長井の才能を見込んだホフマンは長井をドイツに留まらせるためにドイツ人女性との結婚を強くすすめ、テレーゼ・シューマッハ(長井テレーゼ)と結婚している。長井はバニリン分離成功の後、日本政府の要請に応えて帰朝したが、日独関係に大きく貢献した。
受賞歴
出典
- ^ Volhard, Jacob; Fischer, Emil (1902). August Wilhelm von Hofmann: Ein Lebensbild. Berlin
固有名詞の分類
ドイツの化学者 |
ロータル・マイヤー オットー・ヴァラッハ アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ホフマン マルティン・ハインリヒ・クラプロート フリードリヒ・ヴェーラー |
- アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ホフマンのページへのリンク