クラプロート【Martin Heinrich Klaproth】
マルティン・ハインリヒ・クラプロート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/04 03:41 UTC 版)
マルティン・ハインリヒ・クラプロート(Martin Heinrich Klaproth、1743年12月1日 – 1817年1月1日)は、ドイツの化学者である。
人物
ヴェルニゲローデに生まれた。16歳で薬局につとめ、その後クヴェトリンブルク、ハノーファーなどで薬局の助手を務め、1768年ベルリンにでた。1770年有名な化学者ローゼの助手になったが、その直後にローゼが亡くなったので、ローゼの仕事をつぐことになった。1795年に王立協会フェロー選出。1810年にフンボルト大学(ベルリン大学)が創設されると初代の化学の教授になった。
分析化学と鉱物学に業績を残した。ウラン、ジルコニウム、セリウムの発見者とされ、テルルとチタンの発見を確認し、これらの元素の命名者になっている。1789年、ピッチブレンドから酸化ウランを精製し、新元素であると結論し、同年9月24日プロイセン科学アカデミーで発表した。
息子
脚注
- ^ 高田時雄編『東洋学の系譜 欧米篇』(1996年、大修館書店、ISBN 4469231304)
固有名詞の分類
ドイツの化学者 | オットー・ヴァラッハ アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ホフマン マルティン・ハインリヒ・クラプロート フリードリヒ・ヴェーラー フリードリヒ・シュトロマイヤー |
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