ウッドワードの全合成の成否
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/01 19:29 UTC 版)
「キニーネ」の記事における「ウッドワードの全合成の成否」の解説
ギルバート・ストークは2001年の全合成を報告する論文で、パウル・ラーベの報告の不備について指摘した。すなわち、ラーベの論文ではキノトキシンからキニーネの合成について他人が追試できるだけの情報の記載がないこと、一方ウッドワードらの全合成論文では単にラーベの方法は確立されているという記載しかないことを指摘した。これを受けてラーベの報告の妥当性について調査が行われた。 ウスココヴィッチらは調査に対して、キノトキシンをキニーネにアルミニウムで還元するラーベの実験の追試を行ったと述べている。そして、生成物にキニーネは含まれるものの合成に成功したといえるほどの収率ではなかったと述べている。ラーベの論文では、この還元反応の収率は12%と記載されている。またウィリアム・デーリングは、2005年に自分の実験ノートでラーベの実験の追試は行わなかったことを確認し、ウッドワードもプレローグもラーベの実験の信頼性に疑問は持っていなかったと述べた。ストークもラーベの実験の追試は行っていない。彼はラーベの論文では実験の詳細が不明であるので追試実験に必要なコストが大きすぎる、仮に追試に成功したとしてもそれはラーベの成果にしかならないし、失敗したとしたらラーベやキンドラーよりも腕が悪いということにしかならないので利益がないと述べている。 一方、ラーベは論文の中で得られたキニーネの融点や旋光度を報告しており、また1931年に同じ方法論に基づいたジヒドロキニーネの全合成を報告している。ラーベの報告は実験の詳細がなくとも信頼できるものと考えても特に無理はない。 ウッドワードの全合成の成否はラーベの合成報告が信用できるかどうかという点にかかっていた。これはそれぞれの化学者の判断基準によって意見が分かれるところである。 仮にラーベの合成を認めないとすれば、ホモメロキネンを利用する全合成はウスココヴィッチの1973年のキノトキシンからキニーネを合成した報告まで成立しないことになり、最初のキニーネの全合成は1970年のウスココヴィッチのメロキネン全合成によって行われたことになる。なお、ウスココヴィッチは還元剤に水素化ジイソブチルアルミニウムを用いてキニノンからキニーネの合成に成功している。
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