折り返し用ループ線、1901年
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「セントラル・ロンドン鉄道」の記事における「折り返し用ループ線、1901年」の解説
運転時隔の問題により、セントラル・ロンドン鉄道の旅客輸送能力は制約を受けていた。これは終点での折り返し時間の問題に直接関係していた。終点に到着すると、列車から機関車を切り返して反対側まで走らせ、反対側に再びつなぐ作業(機回し作業)が必要で、これに最低限2分半かかっていた。機回し作業の短縮を図って、セントラル・ロンドン鉄道は1901年の議会会期に向けて、1900年11月に法案を提出した。この法案では、機関車を切り離さずに列車を折り返せるように、路線の両端に折り返し用のループ線を建設する許可を求めていた。西端のループ線は、シェパーズ・ブッシュ・グリーンの3つの側面を反時計回りに走る計画であった。東端のループ線は、リバプール・ストリート駅の下に設けるか、あるいはより大きくスレッドニードル通りからオールド・ブロード通り、リバプール通り、ビショップスゲート(英語版)を周ってスレッドニードル通りに戻ってくるものが提案されていた。建設費の見積もりは80万ポンド(こんにちの7550万ポンドに相当する)で、ほとんどは地役権を取得しなければならない東端ループの費用であった。 1901年の会期には12以上の鉄道法案が提出されており、セントラル・ロンドン鉄道の法案はそのうちの1つであった。これらの法案を平等に審議するため、ウィンザー卿(英語版)を長とする合同委員会を設置したが、委員会が報告書を出した時点で会期はほとんど終わっており、法案提出者は次の会期に再提出することを求められた。委員会の報告書で推奨されたこととして、セントラル・ロンドン鉄道はシティにおけるループ線を断念し、ハマースミスとシティ・オブ・ロンドンを結ぶ速い地下鉄路線を建設すれば通勤者にとって利益となるであろうとしていた。
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